Wednesday, July 30, 2008

心の渇きを癒すかのように、むさぼるように読んでいた本を読み終えた。
あの人と向き合うために、心の準備をするかのように。

読み終えたあと、私は泣いた、何時間も泣いた。

「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。
たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかっ た。”あの人”の死が僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことは出来ないのだ。どのような 真理も、どのような誠実さも、そのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことは出来ないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何 かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何も役に立たないのだ」

全くその通りだと思った。

私は今、とても哀しくて、涙を流している。
あの人が亡くなって6年が過ぎているのに、私はあの人がこの世のどこを探しても、もう見つけることができないという真実を今日知った。お墓を見よ うが、あの人の家族に会おうが、それでも、どこかであの人を探していた自分に、今日気づいていしまったのだ。そして、あの人を私は何度となく傷つけてきた ことは紛れもない真実だった。

その本が私に言った。

「あなたがもし”あの人”の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら、あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。そ してもし学べるものなら、そこから何かを学びなさい。でも、それとは別に幸せになりなさい。・・・・辛いだろうけど強くなりなさい。もっと成長して大人に なりなさい」

私は今日、あの人のお葬式をしてきます。
出席することが出来なかったお葬式、今日あの人のお葬式をします。

私は何かを学べるだろうか、この哀しみから何かを学べるだろうか。
それとも、私の残りの人生はその何かを見つけることなのだろうか。

彼の最後の言葉を思い出す。
「幸せにな」

私は幸せにならなくてはならない。
あの人のぶんもあわせて幸せにならなくちゃ。

Hiroki(甥)からのプレゼント


「エツさんのかおぉ~!」と言って部屋まで起こしに来たHiroki(甥)。手に持っていたのはクレヨンで書いた私の顔。早速その絵にサインをしてもらった。

彼の目に写る私はこんな顔なんだね。
Hiroki曰く、エツさんはいつもウィンクしているんだって・・・。

こどもって面白いね。子供部屋に行ったら、沢山のクレヨンが転がっていたよ。いろいろな色のクレヨンが転がっていたのに、Hirokiは黒を選んで、私を描いた。

今日も朝から元気をもらったよ。

こんな毎日なら、いつまでもここにいたいなぁ。

私が現実に引き戻されるまであと14日。

渇きを潤すかのごとく

渇きを潤すかのごとく、私はむさぼるようにある本を読んでいる。
私がこの本に出会ったのは、たしか私が16,7歳ぐらいだったと思う。あれから15年以上の月日が流れ、また私はあの本のあの世界に引き込まれている。

私がこの本に最初に引き込まれたのは・・・・主人公の言った言葉だった。
その言葉は、私にとって、”Déjà vu”だった・・・。だれかが、その本に出逢う3,4年前に言った言葉だった。

「どうしてそんなに固く物事を考えるんだよ?ねぇ、もっと肩の力を抜きなよ。肩に力が入ってるから、そんな風に構えて物事を見ちゃうんだ。肩の力を抜けばもっと体が軽くなるよ」

同じ言葉を、今の私にも言ってくれる人がいる。

その言葉に当時の私は本と全く同じようにこたえた。

「肩の力を抜けば体が軽くなることくらい私にもわかっているわよ。そんなこと言ってもらったって何の役にも立たないのよ。ねえ、いい?もし私が今 肩の力を抜いたら、私がバラバラになっちゃうのよ。私は昔からこういう風にしてしか生きてこなかったし、今でもそういう風にしてしか生きていけないのよ。 一度力を抜いたらもうもとには戻れないのよ。」

今の私は、すこしだけ力を抜いてみようと考えている。
「信頼」という言葉を見つけたから、すこしだけ力を抜いてみようと思う。
ほんの少しだけでも、力が抜けた時、
「自分の写真」
撮れることを知ったから。


肩の力が抜けなかったあの人は、自らの命を絶った。
力が抜けなかったんじゃない、あの人は肩の力を抜いてみたんだ。
そしたら、彼はバラバラになっちゃって、どこかに吹き飛ばされてしまったんだ。
あの人が私を必要だと言ってくれてたら・・・そんなことも考えた。
でも、彼は深く混乱していた、そして言葉も失いつつあった。

彼が死んだ時、私の中で何かが彼と一緒に消えてしまったことに初めて気付いた2008年の春。

明日、あの人に会いに行く。
彼はずっと29歳のまま。
残されたわたしたちだけが歳をとっていく。

外は雨が降っている。
私の乾いた心を潤そうとするかのように
雨が降っている。

もう一度あいたかった
はなすことがたくさんあったから

Monday, July 28, 2008

隠れ家

隠れ家で、誰かにご馳走してもらったのは土曜日が初めてでした。
自分のお酒は自分で払うのが、今までの私の隠れ家でのルール。
次回は私が持ちます!それまで絶対に覚えていますから!



隠れ家の写真を撮って帰ろうと思いましたが、やはり撮らずにいようと思います。
撮ってしまっては、隠れ家ではなくなるような気がします。
あの店で語り合ったことは、あの店においてくるのと一緒かな?あの店と自分の心や頭に大切にとっておいて・・・。

写真を撮らずにいて、仮に2年後にその店がなくなったとしても、私の中でずっとあの匂いは覚えているし、あの音も覚えている。私が覚えていればい いこと。忘れなければいいこと。あの店が私や父の人生に何十年もの間、関わってきたことは事実で、それを私が忘れなければいいかな?

そんなことを思っています。

わがままか。

実はあの店にカメラを持ち込んだことは何度もあったけど、でも一度もシャッターを押せない。なぜって、必要ないからなんだろうな。

きっと、人はそれぞれ皆、一つぐらいはそういう場所があるんじゃないかな?

私の隠れ場は、そのくらい、私にとって意味のある大事な大切な場所なんだなぁと、感じる・・・。

Sunday, July 27, 2008

飲みすぎ、頭イタ

今日は、隠れ家で夕方4時半から飲み始め、夜11時半まで約7時間、飲み続けました。久しぶりに、たのしいおしゃべりと飲みだけで過ごした7時間。

あまりの話の面白さに話し続け、笑い続け、考え続け、いつの間にやら・・・7時間。隠れ家でこんなに飲んだのは、何年振りでしょう。飲みながら、 だんだんと頭が冴えてきて、ふと気付いたのは・・・・一人のバーテンダーの懐かしい顔・・・。階段を上がったときに、気付きました、あれ、現オーナーの2 世だと。どうやら、なんとなく向こうも気付いたようで・・。

昔の様に同じ酒(割るものが変わりましたが)を7時間も飲んでいる私、15年前と全く変わらない店の匂い、トイレの匂い、店の灯り、音。

ちょっと歳をとって、お酒の味が少しわかるようになって、でも、また同じ隠れ家で同じ酒を隠れて飲んでいる。変わらないようで変わった自分、変わらないようで変わった隠れ家。

10杯くらい飲んで、少しけだるさを覚える頃、懐かしい顔に昔のように見送られ、ちょっと頭が痛いけど、よい気分です。

そして、私は、誰かと話したく、アメリカまで電話をかける。
今、私を必要としているアメリカの”弟”に、良い気分をおすそ分け。

Saturday, July 26, 2008

本、本、本・・・・

今回の帰国で絶対に持って帰る!!!って思っていた本。
主に、古いタイトルなんですが・・・実家の押入れやら倉庫に絶対にハードカバーで持っているのに、重いからといって単行本で購入したいはいいが・・・・あまりの冊数で結局単行本でもハードカバーでも関係ないぐらい重くなりそうです・・・。参った!
こりゃぁ・・・船便で別送だな。

今回のお小遣い、本と美味しい食事とお酒で使い切りそうです。
お土産リスト、まだ半分しか終ってないのに・・・。

本日のお食事


温度の変化、つまり外の温度とお店や部屋の温度が急激に変わる時や、勢いよく話さなければ、お薬が効いているのか、治り始めているのか、咳が出なくなりました。

そんなことを考えていた夕方、大学の先輩からお電話があり、新宿へ。
少し体調が良くなるとすぐに、一杯あそこで飲みたくなる私は、お電話を理由に家を出て、新宿まで飲みに行ってしまいました。

でも、先輩も同じく水曜日頃から調子が悪かったこともあり、2杯飲んだ後、美味しいものを食べに行こうと言われ、タクシーに乗り・・・・みた事のない住宅地へ・・・。

着いた先は、三宿のとあるお店。小さいお店で席も14人ぐらいしかない。こじんまりとした、でもモダンなつくりのしゃぶしゃぶを出すお店・・・。

二人で、始めに二品頂き、そのあとしゃぶしゃぶ・・・・。しゃぶしゃぶの後は、おうどんと雑炊を一人前ずつ、二人で頂き、デザートはトマトの水甘煮。
シンプルな味で、お野菜やお肉の味をちゃんと味わえる、本当に、シンプルなしゃぶしゃぶをおしゃれに頂いてきました。

お料理のお味を言葉にすることが私にはとても下手なので、気になった方はどうぞ、足を運んでみてください。

「八百七」yaoshichi
http://www.yasaino-g.jp/

本日も大好きな先輩と素敵な音楽を楽しみ、美味しいものをご馳走になり、楽しい会話を楽しめて、よい一日でした。渡米までに、あと何回、先輩と楽しい会話を楽しめるのでしょうか?

本日は、大きな箱をお土産にいただきました・・・。
中を開いてみたら・・・・ぽにょ!!!!

Thursday, July 24, 2008

ポツポツ星人と風邪星人

甥っ子が水疱瘡にかかり、ポツポツ星人になりました。
私は・・・・風邪星人になりました。

っていうか、私の場合、喘息の咳だと思ったらなんか様子が変なので、病院に行くことにしたら、甥っ子の腕に小さい水ぶくれ見たいものを発見!よぉーくみてみると、体中に赤いポツポツが・・・。今朝6時のことでした。

時間が経つにつれポツポツがふえるぅ~!!!
で、家庭の医学の本で調べたら、思ったとおり・・・・。

慌てふためく妹、昨日一緒に遊んだお友達ママにメールを朝7時ごろから打っていました・・・・。痒くてイライラのポツポツ星人をアイスクリームで つり、病院へ。私は、道を挟んだ虎ノ門病院から独立した開業医のところへ・・・。病院が終ったら、ポツポツ星人が、自分が病気だと気付き、甘え放 題・・・。こっちだって、熱があるっちゅうねん!!って思いながら・・・またまたアイスクリームでつって、帰宅。

ここで問題です。
私の平熱はいくつでしょうか?
1.36.2℃
2.36.8℃
3.35.4℃
4.どれでもない。なぜなら、体温計を持っていないから・・・。





答えは3番!
つまり平熱が低いんです。
「甲状腺は問題ないですね。でも平熱が低いので、免疫力が低下していることが考えられますから、もっと食生活を整えたり、必要以上にお薬の服用をしたりしないでくださいね!」と言われました・・・。

向こうじゃあ、平熱が低いなんていわれたことないし・・・。35.4℃って普通と思っていましたよ。。。これで何年も生きていましたから・・・。

でも、食生活っていわれて、納得しました。渡米して15kg以上太ったのも、腰痛が悪化したのも、平熱が下がったのも・・・これも自己管理不足って事ですよ・・。

まずは、食生活、やっぱり変えるしかないようですね。体は基本ですもんね!
今は薬が効いて、どうやら注射はしなくてもよさそうです!
明日も自宅待機と行きましょうか・・・。

今夜はとても涼しく、本を読みながら、うたた寝・・・。あらあら、戸締りしなっくっちゃ。虫の声をバックミュージックに、今夜は本を読みながら過ごします。

Wednesday, July 23, 2008

コドナって?

もちろん、コドナの概念が違えば人それぞれ考えや思いは違ってくるはず。
コドナって周りの人にはどんな意味を持つのかな?

私、一言で言ったらやっぱり「大人になりきれない、大人になりたくない、だけど、体は大人。」

その言葉は、”今”を大事にしているよね。でも、大人になることって、”今”を大事にしているだけじゃ何か足りない。周りが子供を持ち育てている ところをみて思う。大人になることは、親になることだけではなく、何か大きく違うものがある。変わらぬ愛、そして思いやりかな?固体としては全く違う個人 を育てるんだから。いくら自分の子供でも、彼らは全く別の生き物だよ、自分のDNAが少し乗っかっているだけだ。

愛、そして思いやり

私がここに生まれるまでにどれだけの人が関わっているだろう?両親、祖父母、そして彼らの両親・・・私が生まれてくるまでに沢山の人のいろいろな思いがあって、今の私が生まれ、ここにいる。すべては愛であったり、思いやりであったりするんだよね。

輪廻転生

小学校に上がる前からずっと見てきた夢がある。それは空襲の中、サイレンの鳴り響く中、泣きながら走る私。誰かの手を引きながら、そして誰かを抱 えて熱い赤い中を走る。ずっとこれは映画やテレビの影響だと思っていた。でも、感覚があるんだよ。そしてあの恐怖は、今までに出会ったものじゃない。

輪廻転生っていうものがあるのかな?って思う。もし、本当にあるのなら、この感覚は、生まれる前の自分の姿かな?じゃぁ、私が引いていた小さな手は?抱いていた小さな体は誰だろう?今私の周りにいる誰かの前世かもしれないよね。

恋のあとがき

昨日知ったことがあるんだ。大学の先輩から教えてもらったこと。私は沢山の恋をしてきたよ。でも、終った恋のあとがきなんか気にもしなかった。で も、それぞれの恋には必ずあとがきがあるんだね。私は何人かを傷つけて、その人の人生に大きく関わってしまったみたい。それを知ったとき、私の中でも終っ た恋のあとがきを探してみたよ。あるんだよ。でも、どのあとがきもやさしくて何かを囁いている。私が他人に残したあとがきは、とても醜く悲しかった。思い やりが足りなかったんだね。その醜いあとがきはなおせない。だけど、もし、次に会う時に私が少しでも優しい人間であったのなら、その恋のお話はきっと甘 酸っぱい、せつない恋のお話にかわるよね。

コドナ、今を大事に有意義に生きるひと。
オトナ、今を大事に有意義に生きながら、自分にそして周りに思いやりを持って接することができるひと。

今の私、沢山意識を使わないと周りに思いやりは持てないな。だって私って、自分第一でわがままだ。


昨日は大学の先輩が4人集まった。「”JackRabbit"が帰ってきたぞ」そう一人の先輩が2日前他のもう一人の先輩に電話をかけた。そした ら、4人も集まった。それぞれに家庭や仕事があるのに、断る事だって出来るのに、私のために時間をくれた。これってすごいって思うんだ。


今回の帰国で同じことが何度も起こってる。沢山の思いやりをもらってる。心が温められた、さぁ、この温まった心で何をしよう。誰かに、もらった思いやりを分けてみようか。そしたらなにかわかるかもしれないね。

Monday, July 21, 2008

7月20日 コドナ卒業

この日は亡くなった大切な人の命日でした。
でも、お墓参り、10日遅れて友人と共に30日に行く予定でいるので、今日は家族と時間を過ごしました。

妹の家の裏庭が雑草だらけで・・・家族総出で草むしり。
とは言っても、妹旦那は子供の相手、私は風邪でダウン、つまり父、母、妹、弟の4人が草むしり。私はお茶運び。縁側に蚊取り線香を焚いていた ら・・・・私、咳が止まらなくなり死にそうになりました。蚊取り線香って喘息の人にはダメなんですね・・・。匂い、すきだったのになぁ・・・おばあちゃん のお家にいるみたいで。

この日記を書いている今日も、私の気管はゼイゼイしています・・・。とホホ。

その夜、皆が自宅に引き上げて、後は弟のみとなり、少し姉と弟で話をしました。
こんなことは、今までなかったなぁ。
弟と精神論みたいな話が出来るとは夢にも思わなかった。
彼とも”父の私に対する体罰についての話”を初めてしました。弟も弟なりにいろいろ悩んだようでした。
殴られたのは自分だったけど、彼らは心に傷を負ってしまったんだなぁとつくづく感じました。でも、二人とも体罰と言うものに対して感じたのは、愛 情が溢れてしまうと、溢れてしまった愛情をどうしたらいいかわからなくって、そうなっちゃうのかな?なんて。愛情と憎しみはいつも背中合わせって言うじゃ ないですか。そう私達は信じています。なぜなら、今の父を見ていたら、私に対する憎しみのかけらなど、一つも感じることは出来ないから。

やっと大人になれた気がしました。33歳の夏、やっとコドナを卒業します。

Sunday, July 20, 2008

待ちぼうけのつづき

待ちぼうけの日記を書き、ふと、昔「待ちぼうけ」という童謡をNHKの夕方6時ごろの番組で聞いたことを思い出し、歌ってみるが、歌えない・・・

待ちぼうけ、待ちぼうけ・・・・
その後は?

調べてみました!!!

待ちぼうけ 
作詞者:北原白秋 作曲者:山田耕筰

待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  ある日、せっせこ、野良かせぎ、
  そこへ兎が飛んで出て、
  ころり、ころげた
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  しめた。これから寝て待たうか。
  待てば獲(え)ものは駆けて来る。
  兎ぶつかれ、
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  昨日鍬とり、畑(はた)仕事、
  今日は頬づゑ、日向ぼこ、
  うまい伐り株、
  木のねっこ。

 待ちぼうけ、待ちぼうけ。
  今日は今日はで待ちぼうけ、
  明日は明日はで森のそと、
  兎待ち待ち、
  木のねっこ。

ともう少し続くのですが・・・。
すっごく意味のある歌だったことが判明。

この歌が満州の伝説からだとかかれていました。
そして、そこには、「韓非子」にも記されていると・・・。

「聖人とは、昔にとらわれ、一定不変の基準に固執する者ではない。聖人とは、現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのである。
 宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、彼は畑仕事はやめ にして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。彼は国中の笑い者になったという。
 昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切株を見張った男の同類である。」(『韓非子』五蠹篇より)

なんということでしょう・・・。
すべてが、私にあることを伝えようとしているかのように、いろいろなものが繋がっていきます。「韓非子」実は、この本との出会いはかれこれ4年前 になります。結局は、読み終えることが出来ず、今も本棚に。今回も一緒に食事をし、今週も会う予定の大学の先輩から紹介された本でした。

どうやら、今が読む、「その時」なのでしょう。
すべてが動き出し始めたことを感じます。

この帰国で、私は何かを確実に得ているようです。

どうやら

私はソフトフォーカスとやらが心地よいらしい。

Saturday, July 19, 2008

輪廻転生

今日は大学時代からの親友の二人とランチ&お茶をしました。

やはり3人とも、外見は変わりはしたものの、あの頃と変わらないものは全く変わっていないことを共に確認しました。そして、話はやはり現在から学 生当時までさかのぼり・・・話はつきませんね。結局、時間が足りなくて、私が帰国する前にまた、今度はお酒を飲みながらっていうことで、お開き。



学生時代、私達3人は本当に良く遊びました。「最後の1円まで使って遊んでいたよね」と一人が言いました。本当にその言葉どおり。

何日も泊り込んで話をしたり、フィルムを撮ったり、お互いの家で雑魚寝をしあったり、毎日ワインを一本あけたり、大学構内で花火をして警備員に追 いかけられたり、学生ホールで1ホールのケーキを買って誕生日パーティー、もちろん、ケーキはそこにいた人々にも配られた。冬には学生ホールでライターを 使ってするめを焼いてみたり・・・公園で酒盛りをしたり、床が抜けたミニにギューギューに乗って葛西臨海公園まで行って、夜中策を乗り越え、砂浜で花 火をしたり・・・・・・考え付くことは何でもやった。

もちろん、今思えば、私達の周りの人々が入れ替わったりしてはいたものの、私達三人は15年経った今でも、良き友人であり、良き理解者であり、良き相談役であり、良き情報提供者であります。



そんな私達が久しぶりに会い、話した内容は「輪廻転生」3人とも育った環境と宗教は違うものの、今年34歳の私達が今感じていることは「輪廻転 生」。すごい言葉のように思うけど、でも、3人ともうなずいてしまった。一人はカトリックを、もう一人は仏教を、私はカトリックと神道をバックグラウンド に持つけれど、紀元前325年に新約聖書の輪廻転生に関する記述が削除された歴史を三人とも思い出し、その漢字4文字にうなずく私達。

今が、私達三人の人生の節目であることを確認し合いました。

何だろう?こんな話をお酒がなくても出来る関係って。三人ともそういう話に詳しいわけじゃない。頭もいいわけじゃない。学も本当にそこそこ。だか ら、私達、難しい言葉を使うわけでもなく、ただ出来事それぞれにどう感じたか、どう思ったかをお互いに話しているだけ。でも、言葉に出来ない何かまで伝え ることが出来る。

「きっと、前世というものがあるならば、私達3人は姉妹かまたは兄弟か、親と子だったか何かなんだろうね。」三人がハモッてしまった。

離れていた時間を埋めてみれば、三人共に苦しい過去3年間。
今日は3人共にエネルギーの補給が必要だったんだね。

お互いを刺激しあって、昔感じていた何かが3人の間を久しぶりに駆け巡った。ゾクゾクする心地の良いなにかが、あの頃のように。

それを霊感と呼ぶ人もあれば、エネルギーの交流と言う人もいる。言葉で表そうとしたら、何百通りもあるだろね。でも、感じる人には感じることができるあの何かを三人で感じた、素敵な一日でした。

なんだろうね、いい波が来ているよ。
これに乗れたら、今までの毎日がきっと変わるね!

素敵な待ちぼうけ

今日は、3,4年ぶりに待ちぼうけを喰らいました。
まっ、ちゃんとメールでキャンセルのご報告を受けたので良しとします。

待っている間、父も通っていたことがある某バーでコーヒーを飲んでいました。そのバーはとても歴史のあるバーで、そして、私の中でも歴史のある バーです。かれこれ、15年前からです。4年日本に帰っていないので4年を抜いて考えても、それでも11年、私はそこで独りで飲んでいます。

コーヒー2杯ほどの後、待ちぼうけを理由にいつものヤツを頼みました。バーテンダーはやはり変わっているので、もう覚えてはいませんでしたね、私 の事は。それに、ボトルももうそこではキープできないようでした。ちょっと残念ですね、でも、このご時世で、まだ店が残っているだけでも有り難いことで す。

11年前のように、素敵な音楽と美味しいコーヒーとお酒と、そしてタバコ。なんとも懐かしく、一瞬にして15年前の大切な今は亡き友人と通っていたことを思い出しました。

あの店では、二人とも無言に近かった。二人で、美味しいお酒とタバコとそして音楽を楽しんだ。当時のバーテンダーは、私が、女独りでよく飲みに 行っていたのでいつの間にか覚えていてくれて、店に入り挨拶を交わした後は、静かに私のボトルとChaserを運んでくれる、そういう店でした。

いつも2,3時間飲んで、二人で彼のバイクで帰る。本当は飲酒運転ですけど、お互いにお酒には強く、特に彼の運転には信頼を持っていたので、二人 でバイクで茗荷谷のアパートまで。大学3年になり、新宿に引越し、バイクでだったらホンの10分ぐらいの飲酒運転。多いときには、週に2,3度は静かに飲 みました。

今日、久しぶりに独りで行ったあの店は、昔と変わらずの壁、照明、そして匂い。何とも言えない思いで心がいっぱいになりました。



実はこの帰国で、私は、大切な隠れ家に3名の方をご招待することにしました。

あそこは私の隠れ家なので、チャンスは一度だけ。本人には伝えていませんが、チャンスは一度だけ。それを逃したら、また次回の帰国まで私の隠れ家 はお教えできません。やはり、私が何年も大切にしてきた隠れ家ですから・・・・・。そういいながら、チャンスを逃した方をまた誘ってしまうのでしょうけ ど・・・。

あの店は、私にとって、沢山の思い出と思いと歴史のあるお店です。独りでお酒を飲めるその大切な友人達の隠れ家にもなったらいいなぁという思いを 込めて、今回誘いました。そして私が帰国した後も、彼らは、きっと独りであの店に行くだろうと思います。私が帰国できないその間、大事にあの店を使ってく れるそんな人たちだと。

新しいお客さん達は、昔からのお客さんとは違い、周りに聞こえるようなキンキン声で話をし、音楽のうんちくを永遠と語ります。そういう方は大抵、異性を連れてのみに来ます、雰囲気がいいからでしょうね。

でも、音楽とお酒を楽しみにきている昔からのお客さんは、今日あった見覚えのある顔は、やはり、カウンターや席で独り音楽を楽しみながら、ゆっくりと好きなお酒を2,3杯飲み帰ってゆきます。

日本に住みたい理由は、あの店が理由の一つであることに、今日あの店で過ごした3時間で、心から理解しました。私にとってあそこで過ごす時間は、心にゆとりをもたらすのですね。待ちぼうけたことで、今日、私は素敵な発見をしました。

そして、本日の街で見かけた素敵な言葉は、
「大事なのは今のあなたじゃない。この先、どのくらい上を目指そうと思っているかだ。」
今の私にぴったり!
そう思いませんか?

Wednesday, July 16, 2008

夏風邪か・・

昨日から少し体調を壊しています・・・。

急にカロリーの少ない、美味しいものを食べているからでしょうか・・・おなかが痛くなります。

それから・・・・インヘイラーの使いすぎでしょうか・・・。2種類のインヘイラーを使っているのですが、緊急用に渡されたほうを鬼のように使って います・・。日本、特に都内はくるしくて、死にそうになりますね・・・。でも、マスクは、こんなに暑いのに出来るはずもなく、気もなく。

喉がいたい・・・、これって頂きもののような・・・。姪っ子に分け与えてしまいました。すまない気持ちで一杯ですが・・・・。

日本の暑さにまだなれないJackRabbitです・・・。

Tuesday, July 15, 2008

ずっと乗っているはずだった電車

今日は、コルセットの採寸の後、新橋で以前勤めていた会社の1年先輩だった人と再会し、良い時間を過ごしました。

きっと、誰かに理屈で考えるなと言われそうですが、でも、今の自分はすぐには変えられないので、今の素直な自分で今日感じたことを書こうと思います。そして、これは今回の帰国で得た財産の、そしていつかこれを読み返すであろう自分の為の、覚書でもあります。

先週の木曜日から、ほぼ毎日、昔からの友人と一人ずつ会っています。その友人達とは全く違う時に、違う場所で、違う環境で出会いました。

5日目の今日、彼らと話をしたことで、自分の中のある変化に気づきました。友人達の私に対するコメントは本当にそれぞれ全く違います。なぜなら、 それぞれの友人と私との距離の違いであったり、年月であったり。でも、その違いの中で、私は何かを見つけたような気がします。多分、見つけたような気がす るのではなく、自分の今するべきことを確信したのです。

最寄り駅から、イソウロウ宅までの道のりを歩きながら、いつもとは違うことに気づきました。

視界がとてもはっきりしているのです。まるで、霧が晴れたかのように。霧というよりは、ジメジメした湿度がなくなり、物の輪郭がはっきりとわかる、まさにそういう感じなのです。そして、自分の足が地面に着き、そして離れる、その感覚をしっかりと把握できるのです。



駅にいる、
駅のベンチに腰を下ろし、
そこから見える風景を、ずっと見ている
いつからそこにいるのかわからない
でも、長い間そこにいる
何度も季節が変わり
今もそれをずっとながめてる

いつだったか、
たしかにわたしは電車に乗っていた
そとにみえた風景が、あまりにもきれいで
わたしは電車を降りた

いつからそこにいるのかわからない
でも、長い間そこにいる
何処に行くはずだったのか
思い出せずにいまもそこにいる

耳をすましていると
電車のやってくる音がする

長い間まっていた
ずっと電車がくるのをまっていた
乗ってみようか
今度こそ乗ってみようか

私は何処に行くはずだったのだろう
思い出せない
乗ってみようか

間違っていたらまた降りればいい
乗ってみようか
間違っていたら、歩いてここまで戻ればいい

乗ってみようか
今度こそ
乗ってみようか



あの電車は、私のいる駅に止まりました。そして、私はベンチから立ち上がりました。立ち上がったとたん、思い出したのです、自分が何処に行く予定だったかを。
後は電車に向かって歩くだけ、ただ乗るだけ。
なぜなら、その電車は確かに自分が降りた、あの電車だったから。ずっと乗っているはずだったあの電車だったから。

今日私は、この駅に何年も何年もずっと座っていたんだと理解しました。季節が変わる度に、いつかも見たなと感じてはいた。でも、なぜかを考えなかった。

今回の帰国で、私はずっと立ち止まっていたという事実を理解しました。何年も認めたくなかったこの事実を、大切な友人達に会い、彼らと話をしたことで理解するチャンスを得ました。今の私が見ている、その先に見えるものを手に入れるために、今度こそ電車に乗ろうと思います。

沢山時間がかかった分、十分に体は休まったはず。今見えているこの線路の先にあるものを、また見失うかも知れない。でも、今度は立ち止まらずに、地図を見ようと思う。今度この電車を降りるときは、それは乗り換えのとき。

とても心地よい、すごくいい匂いの風が、今の私にやさしく語りかけてくれました。途中下車も悪くない、でも、そろそろ電車に乗らないとね。

ありがとう、そしてこれからもよろしく。

Monday, July 14, 2008

上を向いて 歩こう. 涙が こぼれないように

今日はとても良い一日でした。
大学卒業後、本社勤務を経て、出向した先で出会った姐さんとその友人のヤギ子さんと3人でお昼を食べ、写真展に付き合ってもらい、そして、お茶をして、ヤギ子さんにカラーセラピーをしてもらって・・・。

すっごくすっきりして、自分の現在、過去、そして今の私が何を欲しているかを言い当てられ・・・ちょっと驚き、ちょっと認めるのが怖かった。だけ ど、誰かに自分の考えていることや思っていることを言い当てられ、明確な言葉に表してもらうと言うことで、モヤモヤしていたものが、すっきりしました。

そして、そんな晴れ晴れしい気持ちで、大学の先輩で、人生の大先輩でもある、ある業界ではとても有名な人と夕食を共にし、バーでたらふく飲み、帰宅しました。

最寄り駅からイソウロウ先の妹宅までの15分ほどの道のり、涙が止まらなくなって、泣きながら帰ってきました。

すっごく感動した一日で、本当に良い友人に恵まれ、幸せだったから。涙が止まらなくって、久しぶりに子供のように泣きながら家に帰ってきました。

日本に帰ってきて、本当に良かった。
きっとこの夏の夜を忘れない、自分が何を思い、何を感じ、何に涙が出たか、絶対に忘れない。

Sunday, July 13, 2008

高校時代の友人

本日は、高校時代に仲の良かった女友達とコラーゲンちり鍋??とか言うものを食べてきました・・・。とっても楽しかった!!!とっても美味しかった!!!

本当はもう一人参加予定でトータル5人での食事会となるはずが事情により欠席。でも8月の帰る直前に会う約束です。今日は三十路過ぎ女4人で、コラーゲンを摂取。

高校を卒業して14年・・・。今でも連絡を取り合っています。とは言っても、2,3ヶ月に一度ぐらいですが、でも、こうして、帰国予定を一人に告 げるとのぞみぐらいの速さで4人に伝わり、お食事会のスケジュールが組まれます。4年前の帰国時も同じで、銀座でお食事会でした。今回は、「むこうにはな い日本の居酒屋さんで」のわたしのリクエストに答えてくれ、新宿で集まりました。

まず始めに、私は電車に乗り遅れ、10分の遅刻・・・・。でも、みんな笑顔で迎えてくれて、有り難いことです。

乾杯の後、変ってないねぇ~、太ったよ、え~そんな風には見えないよぉ~などのよくある会話からはじまり、10分後には、高校時代と変らない会話 に・・・。男の話、元彼の話、などなど・・・。楽しいお食事の時間はあっという間に過ぎてしまいました。そのあと、Cafeに移動、そこでも、つもる話で 盛り上がり・・・あっという間に10時。

4時間も女4人は話し続けました。本当に高校のときと変らない、外見や表情や化粧が変わってはいるものの、根本的には全く変わらない・・・かな? 彼女達3人は、2年生のときは隣のクラスでしたが、ラッキーにも3年になり皆で同じクラスになりました。そんなこともあり、時々私がわからない2年生の時 の昔話もあったりもしながら、14年間のありとあらゆる話をしました。

帰りに、よく通ったバーに、以前のように独りで寄り道をして、いつもの飲み物を一杯だけ飲んで、帰って来ました。

帰り道、駅から家までの道のりを歩きながら、楽しかった高校時代を思い出しながら、友達の有り難さをかみ締めて帰ってきました。


向こうで生活をしていた頃、よく思ったんですよ、友達を失ったって・・・。
でもそんなことはない。ただ、年月を経て、淘汰されただけ。帰国すると一通のメールを書いただけで、何人の古い友人が連絡をくれたことか。病院のことが一段落した水曜日から、毎日のように友人と食事やら飲みやらの約束が入っている。

カレンダーに書き込みながら・・・大切な友人達を失ってはいなかったことに気づきました。仕事が忙しくて、週末にしか会えない友人もいるのです が、週末のスケジュールが詰まってしまったと話したら、それでも忙しい平日の夜に時間を作って、夕食をと言ってくれる大切な友人達。

そんなことを考えながら歩いていたら、なんだか感動して涙が出そうになりました。遠くて逢えなくても、でも、彼、彼女達はいつもそこにいてくれる。何年も逢えなくても、いつまでも友達でいてくれる。

とても幸せなことです。

Saturday, July 12, 2008

無題


人の死ってあっけないものだね

沢山の人が
沢山の気持ちをこめて
そだててくれたのに
おわりは あっという間

たくさんのことを
やれるだけやって
たのしもうよ

最後の最後まで
enjoy your life

Friday, July 11, 2008

日本での考え事 家族について

4年振りの日本で、家族や友人に会って、普段は全く思ったり考えたりしないことを考えている。今日は家族のことについてちょっと考えてみた。

妹の家にイソウロウをし始めて5日目。妹の旦那は長期出張で家にいないので、妹一人で二人の子供の面倒を見ている。
子供は4歳(早生まれの男の子)と1歳半(女の子)。私と違って全く社交的でない妹は、4歳の子が生まれたときに家に引きこもってしまったので、 その子もShyであまり社交的ではない。そして、言葉を話しだしたのが遅い、4歳になるのにまだ舌足らずで何を言っているのか時々理解できない。

もちろん、親である妹が「ママ」「パパ」「マンマ」「ブーブー」などの赤ちゃん言葉を使わずに子供と接するという教育方針なので、子供にしてみれ ば言葉が難しいのは理由の一つだろうとおもう。なので、私は出来るだけ、彼と話すときには言葉をゆっくりとはっきりと発音するようにしている。そして、彼 が機嫌が良いときはなおしてあげるようにする。しかし、子供は自分に素直すぎて気が向かないとリピートしてくれない。まいった。

1歳半の子は、妹が欲しかった女の子だったので、どこかで甘やかしてしまったようで抱っこ癖がついてしまっていて大変だ。そして、現代っ子らしく、アトピーもアレルギーも持っている・・。


もちろんまだまだ子供だから、善悪の判断が私たち大人ほどしっかり出来ない。だから意地悪なことをしたりしたら叱って教えるのだけど、叱り方によっては聞くどころか泣き出し1時間はぐずって止まらなくなる。

そんな時に、自分の昔のことを思い出した。
親に叱られた時のこと。当時の父はよく私を叩いたり殴ったりした。冬に何時間も雨の中、外に締め出されたこともある。いわゆる体罰を受けた。それ に引き換え、妹と弟は一度も手を出されたことがない。当時は納得がいくわけもなく、また今でも人生で忘れられない事のWorst3に入る出来事だ。その体 験を、自分の子供には絶対にしないと心に誓っている。

妹の子供を叱る様子を見ていて、時々怖くなる。叩くことなどは全くないが、言葉がキツイ。これでは子供が萎縮してしまうだろうと、気になって仕方がない。妹が叱った後で、私が子供達のなだめ役に回るが・・・・これでは、妹が悪者になってしまう。
そんなことを、昨夜は妹と話をした。
やはり、父に殴られている私を毎日のように見て育ったため、ついつい自分の子供に厳しくなってしまうようだという。体罰の件で、私だけでなく妹も、ある一種の後遺症をもってしまったのだと今になって気づいた。

小さな子供達、どのように接してあげればよいのだろう。どのように叱ってあげればよいのだろう。

自分が子供の頃に何が嫌で、なにがうれしかったかを考えてみる。どうして、父に言われたことがどうして聞けなかったのか、どうして殴られたのか、そんなことを考えながら、子供達と過ごしている。なんだか、妹の家で、子育てシュミレーションをさせてもらっている気分た。

小さな二人の新しい家族。4年ぶりに帰国して、はじめて会った小さなワンパク兄妹。この一ヶ月で少しでも妹の手助けと、子育ての相談役になれたらいいなぁと思う。

自分が経験した出来事を、あの小さな子供達には絶対に経験して欲しくない。
そして妹には、感情に走らず根気よくがんばってもらいたい。
これが毎朝の大戦争で、私が感じていること、考えていること。

マジですかぁ。。。

今日は、12年ぶりに大学の時からの大切な友人と会いました。

会うのは本当に本当に12年ぶり。
でも、待ち合わせで会ったそのときから、私のテンションはあの頃のテンションに戻り、超ハイです!!!もちろん、滑らかに日本語が出てこないけ ど・・・話しているうちに、どんどんあの頃に引き戻される感じ。あった瞬間から、12年の溝を埋めるがごとく、機関銃のように話始めてしまった私・・・。 止められなかった・・・。

本当の友だからこそ、安心感があるのでしょうね。もちろん、昔以上に日本語は変だし、話題は飛ぶし・・・・でもちゃんと分ってくれる、私が何を言いたいのか・・・。学生当時から一杯迷惑をかけても、見放さないでいてくれた大切な友人です。

ここで、親が私に大学に行くことを薦めたときに言ってくれた言葉を思い出しました。「大学で出来た友は一生の友、だから大学に行っておいで。」
この言葉は本当だったと思います。

さてさて、場所を目黒に移し歩いていると・・・いきなり、後ろから自転車に乗ったおまわりさんが二人、私達を追い越していきました。自転車なん て、のどかだねぇ・・なんて話していたら、ちょっと先の角で自転車を降りるおまわりさんの二人。何があったんだろうと話しながらその角をちらっと見たら、 3,4人の人だかり。その工事中の角の地面には白いシートがかけられている・・・。それを見た瞬間、サイレンの音が聞こえ、それが近づいてきた。ふと白い シートからのぞいているものをみると・・・グローブをした人の手と足が・・。
悲しかった・・・。その人に小さな子供がいなければいいと思った。

どうしても、そのことを考え始めてしまっている私に、その友人は寄生虫博物館に行くことを提案。ずっと行きたかったけど、行く機会がなかった博物館、行って来ました。まだ体が痒いです・・・。あぁいうのは、ちょっと・・・・無理です。
おかげで、魚やお肉が食べれなくなりそうです・・・。今度は寄生虫があたまから離れず・・・痒いです。

博物館後、近くにあった神社でお参りをしてきました。

その後は、その友人の大切な人とも会い、その二人から沢山の元気を分けてもらいました。不思議ですね?12年も会ってないのに、こんなにも普通で いられるなんて。12年の年月を感じさせない、素敵な友情を彼と私は大学時代に築くことが出来たんでしょうね。やっぱり親の言うとおりに大学に行って本当 によかった。

お父さん、お母さん、私を大学まで出してくれてありがとう。

そして、私の大切な友人に、
いつまでも私の大切な友人でいてくれてありがとう!そして、これからもよろしく。

Thursday, July 10, 2008

「手術、しますか?」

今日の病院の結果報告です。

「手術しますか?」で始まった先生との会話。
今回の帰国で手術が必要なら、帰国を延ばしますとはじめに話しておきました。でも、出来ればしたくないことも。アメリカでの主治医もオステオパ シーも勉強したD.O.と呼ばれるドクターです。主治医を決めるまでの間、何人もの先生をさまよいました。私の腰の手術はもうニ度目で、出来ればギリギリ までいじりたくない。伸ばせる手術はギリギリまで延ばしたい。

今日の先生は、忙しいのにちゃんと話を聞いてくれ、質問にも丁寧に答えてくれました。多分二十分以上話してしまいましたから、きっと私の後の予約 の方で一、二時間待たされた人も出たことでしょう。申し訳なく思います。でも、治したくて病院にいる、その気持ちはどの患者さんも同じはず、わかってくれ るとことを願います。

私の腰は、確かにヘルニアがある。でも、私のもっともConcernは、今の痛みが増すこと。これ以上は薬に頼りたくない、出来れば薬を少なくまたは、弱いものへ移行することが目標です。

現在の痛みのほとんどは、主に坐骨神経痛。腰痛もありますが、坐骨神経痛が始まり、その一時間後ぐらいから、腰の部分がピキーンと痛くなる。夜に なると、一時間に五分から十分は仰向けにならないと辛いことが多い。もし、強い方の薬を飲んだときは、全体的にニ、三時間はその痛みのサイクルがずれる感 じ。席喘息を持っているので、咳が始まると腰に響く。

まぁそんな話を聞いてもらい、MRIとレントゲンの説明をしてもらいました。横の断面図の写真からいえることは、ヘルニアがあるけれども、下の部 分のヘルニアはそれほど悪さをしていないようだということ。ただし、上の部分のヘルニアはやはり神経に当たっていると。以前手術したところはしっかりと くっついていて大丈夫、問題はない。縦の断面図からは二つとも神経を押しているが、上のほうが下のものよりも神経を押している。

しかし、上の部分のヘルニアが神経を押しているのにも関わらず、まだ大腿部の前の部分に痛みや痺れが来ないところをみると、まだ手術をするには時間がある。
もし減量が出来れば、腰への負担も軽くなるので、もしかしたら現在の痛みが和らぐかもしれないし、又、手術の時期もこれで延ばせるかもしれない。 そして、コルセットをつけることで、腰を支えることにもなるので、椎間板のぐらつきも少し抑えることが出来、これにより痛みも和らぐ可能性もある。背筋を 腹筋をバランスよくつけることも、痛みを和らげる一つの手段。

以上の可能性のお話をしてくれました。

もし最悪、手術となった場合は、今固定されている椎間板の上の椎間板を同じ方法で固定するのがベストだと言われました。が、その固定された上の椎間板がまた今回と同じようにヘルニアに発展する可能性は大いにありえる。

「どうしたいですか?」

決めました。とりあえずちゃんとした?コルセットをつくり、1週間過ごしてみる。改善が見られるようであれば、コルセット生活で大腿部の前の部分の痛みや痺れがでるまで手術をしない。もし、コルセットが効かなければ、違う方法を先生と一緒に考える。

先生の話では、一週間ほどチューブで痛み止めを直接、痛みの部分に注入する手もあると。そして、ブロック注射をもう一度試すという手もあると言ってくれました。

その先生が思うに、今手術をしても、50%なおるとも50%なおならないとも、どちらとも言えないと、言われました。

ここで手術をして、すぐまた何年後かにヘルニアにでもなったりするのは嫌です。あと三、四十年は付き合うだろう、私の腰、大事に、出来れば仲良く付き合って生きたいものです。

だから、
待つことにします。
今は手術をしません。

今月14日にコルセットのための型取りにいきます。そのコルセットが効果を表すことを心から願います。

Wednesday, July 9, 2008

病院での出来事

本日、病院に行ってまいりました。
が、私の主治医はメチャメチャ忙しく、予約が再来週まで一杯だとか。仕方なく、それでもベテランの先生をお願いして診てもらって来ました。

触診と問診、そして過去のカルテで少しはなしをし、MRIを撮る事に。ただ、その病院のMRIは2週間後しか空きがない。ということで、急遽、他の放射線科専門の病院に行ってMRIを撮る事に。それも今日!!!それも夜8時20分!!

MRIだけでなく、診察のあとレントゲンも撮りました。そして、再診の予約は明日・・・。なんだか特別待遇???
もし、手術となってもいいようになの???
するならLaserの手術がいいなぁ・・・これ以上傷跡が残るのは嫌ですから・・・。

夜8時20分の予約・・・・・。
そんなに遅くまで病院ってやっているのだろうか?と不思議に思いながら、早い時間に下見に行くと・・・どうやら診察等は夜8時まで。

?????8時まで??????

なので、予約の時間よりも少し早く8時前に病院の受付に行きました。チャキチャキ用意がされ、チャキチャキ写真を撮り、8時半過ぎには病院を出ま した。どうやら、担当医が無理なお願いをしたようです・・・・。でも、その放射線科の専門の病院の担当の方は気持ちよく応対してくれ、うれしかったです!

出来上がった写真をもらい、帰宅。
17歳の最初の手術から、留学する直前の25歳までMRIを年に2回(なぜならダンスを続けていたので。。。)撮っていたので、何処を見ればいいのか大体わかる様になりました。

今回のヘルニアは、チタンで固定された椎間板のすぐ上の椎間板もすぐ下の椎間板も出ています・・・。それから下の椎間板、もしかしたら、少し滑っ ているかも・・・。椎間板をはさんでいる骨同士が触っているのが見えます。それから・・・固定されたすぐ上の上もヘルニアになりそうです・・・・。

これを明日、先生がどう判断するか・・・。でも、触診と問診で先生にも上のヘルニアが悪さをしているかな?って言ってました。当たりでしたね!

特に今朝は川崎方面朝から土砂降りの雨でした。お昼過ぎから晴れましたが・・・・湿度はメチャメチャ高かった。だから、痛みもいつもの倍以上。

昔はボルタレンなんていうのを飲んで注射も隔週でしていたけれど、そんなものじゃ効くわけのない私の腰痛。いまじゃぁ、毎日 Lortub(hydrocodone )のお世話になっています。とりあえず、心臓停止は避けたいので、お酒を飲む6時間前は控えますが・・・代替品のIBUPROFEN 800mgでは痛み がまぎれるわけもなく・・・。

この痛み止めの依存を少しでも減らしたいと思い、痛みをコントロールするドクターに通ったものの、何の変化も見られず・・・。プールもだめ、カイロもだめ、針も1,2日だけ効く・・・

今回の診察で痛みからの脱出を図りたい。でも、だめかなぁ?

ちょっと弱気のJackRabbitです。

Monday, July 7, 2008

さてさて、妹のいる川崎市麻生区に移動してまいりました。
まずはじめに、妹の一言、

「すっごくふとったね・・・。」

ノックアウトです。
マヒナさんにも、弟にも、両親にも、祖母にも、そして叔父にも言われ・・・妹までも・・・。

たしかに、

ダンスを真面目にやっていた頃より、新体操をやっていた頃より、15kgは太っています・・。でも・・・・あっちでは・・・・これでもOKだったんです・・・。

日本人に戻る努力をマジではじめます!!!
まずは、体型から、日本人に戻します!!

最近のGET品
Tie Fighter Pilot
Wicket 
Golden Eggs のTurkey

Star Wars全種類まであと9個。Golden Eggs 全種類まであと4個

Saturday, July 5, 2008

日本 4日目の困惑

以前にも話しました、「リバースカルチャーショック」っていうやつです・・・多分。

こちらの友人に電話もしたくない・・・、約束したのに、当日の今日キャンセル出したり・・・。
ハチャメチャです・・・。

でも、外に出ました・・・・本を探しに行きました。カメラも持って、出来たら写真をと思い・・・。

お店を回っているうちに、だんだんと恐怖感に似たものを感じ始めました。
人が多いとかそんなんではないんです。人が多いのは慣れています。

何なんでしょう??

リズムなのでしょうか?・・・よく言うノリってやつなのでしょうか?
パニックに陥りそうになり、喘息に何度か襲われました。
手の震えも始まり・・・怖いような、なんとも言い表せない感覚が。

公園のベンチに座り、すこし落ち着こうとiPodを取り出し、音楽を聴き始めたら、だんだんと気が楽になりました。

自分がFitしないそういう気がしてきました。なんだか、上手く言えないのですが、自分が何年か住んだことのある町なのに、懐かしさを感じないと言うか。
確かに、町が変わっているのは事実です。この町を離れたのは、かれこれ14年も前。そしてその14年の間にこの町に戻ってきたのは10数回と数えるほど。
でも、今までに感じたことのない感覚が私を襲うのです。

確かに、高校の同級生は全国各地に散っています。だから、昔のように道を歩いていて、知り合いに会うことはすごく少ない。でも、この4日間で、知り合いや同級生を何人か見かけました・・。でも、昔のよう声をかけられない・・・そして、約束もキャンセルしてしまう。

懐かしいという気持ちより先になにか、今まで感じたことも味わったこともない感覚が私をおびえさせる・・・。

大好きな本屋さんで、涙が出そうになりました。

探している本も見つからない、どこを探せば良いのかも分からない・・・・笑顔で声をかけてくれる店員さんにも笑顔が返せない・・・。

入るお店は、輸入ビンテージものを扱うお店。Tシャツの文字やロゴを見て、安心感を覚えるのです。

思い出したことがあります。
フロリダにいる「弟」を日本に連れた来た3日後、彼がしきりにimport shopに行きたがった、その理由がこれなんだろうと思いました。

日本人で日本語を話し、パスポートも日本。なのに、自分の国じゃないみたいなんです。
identityの喪失、たしかマイミクのスナフキンさんが言っていましたね。
そうなのかもしれません。

道端で外国人を捕まえ、話しかけて見ました。でも、彼らが話すのは、どこかの国のアクセントが入った英語。でも、その英語に少し安心感を覚えたり・・・。決して自分が英語を堪能に話せるわけでもないのに・・・英語に安心感を感じてしまう。

テレビを見ていてもおなじ。インタビューのときなると、2,3秒待ってしまうんです。日本人が日本語を話しているのに、英語の吹き替えを待っている。

私の頭が混乱しています。

マヒナさんと1時間以上、電話で話しました。どうしようもなくなって、helpを押したのです。
いざとなったら、英語で話せる、英語を話してくれる、そう頭のどこかで思ったのでしょう。
でも、日本語でたくさん話しました。そして、少し落ち着きました。でも、自分との戦いが始まったことを確認しました。



母にこのことを話しました。店員さんに話しかけられて戸惑うこと、時々日本語でなんていって言いか分からないことがあること。そしたら、母は、笑って
「いいじゃない。がんばって英語を勉強してきたってことでしょ?
その人と英語で話したらいいじゃない?みんな学校で習っているから、大丈夫。」
うん、コンビニとかで英語と日本語混ぜて話してる。



きっと今の私は、日本を離れる6年前の、懐かしい日本、それも6年の間に作り上げた私の想像する日本のイメージで帰ってきた、だから混乱している。

ゆっくり、深呼吸をします。マヒナさんが教えてくれたように、落ち着いて、深呼吸。そして、自分の心のレンズのカバーをはずしてみる。

やってみよう・・・。少し時間がかかるかもしれないけど、やってみよう。
心のレンズのカバーを外せたとき、自分の撮りたい写真、撮れるかな。

Jarheadを聞いています。

日本に帰ってきてから、Myspaceにメッセージが毎日のように仕事仲間から入っています。
そのうちの一つに、

「英語忘れないように」、 

とのメッセージ。

やばっ、ばれてる・・。


日々頭の中が日本語の頭に移行しています。これでは、帰ったときに仕事に戻れません・・・・。
なので今日から、iPodに入れてきた最近のお気に入りだった映画「Jarhead」のAudio Bookを聞くことにしました・・・。

このAudio Bookは作者が朗読しています。別に彼の声はかっこよくもなければ、読みも上手でもない。でも、一応、英語なので・・・・耳に栄養を与えるにはよいで しょう。ちなみに、本も買ってきているので、聞きながら、読みながら、発音の勉強にもなるでしょう・・・。なることを願います。

昨日まで聞いていたPunkと違い、静かです。眠たくなります・・。でも、これで負けてはいけない。気持ちを取り直して、がんばります。
それでは、今日もランチの後にお散歩に出かけようと思います。今日は公園にでも行ってこよう。私の中学はその目の前にあります。入れたら入ってみようっと♪

カメラのこと、写真のこと

9/9

実は帰国する前日にカメラを買いました。(懺悔します)

Voigtlander Bessa R2と、Color-Skopar Pan Type II 35mm f/2.5 Wide Angle Lensを買いました。

本当は250thのAnniversary editionであるBessa R2Mを買いたかったのですが、向こうでは1000ドル以上します。Annversary Editionはレンズつきですが、1000ドル出すなら少し待っていれば、Leicaの中古Bodyを見つけることができます。今の私のカメラやフィル ム、レンズの知識ではそこまで良いものを買っても「宝の持ち腐れ」、「猫に小判」です。

以上の理由でBessa R2を買いました。ひとつ型が古いですが、Bodyだけで500ドル前後で買えます。レンズはLeicaとおなじMマウントを使用するため、将来的に Leicaをほしいと思っている私には、Bessaのレンズをいつか買うLeicaに使用することができるため、好都合です。

Bessa R2は、値段的にも良い練習カメラだと判断し、購入を決めました。中古でしたが、状態が9+というとてもよい状態だったので、即購入。Lensは新品で買 いました。Lensですが、Leicaを買うか迷いました。でも高いですね・・・。中古でも手が出にくい。という理由で、Voigtlanderのものを 新品で。Bodyは、昨日届いたようです。Lensが届くのはどうやら来週になりそうです。なぜならアメリカは7月4日は独立記念日でHolidayで出 荷も配達もすべてとまっています。早く届くといいなぁ・・・。

っていうか、写真もまだまともに撮れないのに、カメラ買ってどうするんだろう??自己嫌悪。
本で今は勉強します。それから・・・取り合えず撮ってみます。

でも、とりあえず撮ってみるって言うのは、自分が撮りたいものに反しているので、本当はしたくないです。ファインダーを覗いてみます。写真ってい うのは、心が病んでいるのに撮ると写真に反映しますね。まぁそれはそれで、今の自分を写すってことで、それでいいのかもしれません。

それにしてもBessaちゃん、かわいいです。
決して正統派美人女優ではないが、飾らない性格と知的な雰囲気、確かな演技力で世界中から愛されたと言われている、アメリカの女優のKatharine Hepburnっていうイメージです。

*余談ですが・・・私の日本語は最悪です。・・・「猫に小判」を一番初めに「プタに小判」?と一瞬思ってしまいました・・・。どうしましょ う・・・これは、ことわざドリルでも買って帰るしかないですね。このままでは、日本を追放されそうです。まずは父に家から追放されます。すると自宅からの 追放は人生2度目になってしまいます・・・それは避けたい。

Friday, July 4, 2008

日本3日目

コンビニにはまっているJackRabbitです。
いつもはRootBeerやDr.Papperを好んで飲むのですが・・・ここは日本、なかなか置いている店はありません。と、すると次に選ぶのは、DietCokeです。

が・・・・見てしまったのです・・・。
Pepsi Nexっていうのに、StarWarsのフィギュアがついているのを・・・。今ネットで調べたら全16種類あるそうです・・・。集めて帰ります!!!
現時点で手元に集まったのは・・・
Boba Fett、
Darth Maul、
Chewbacca、
Imperial Logo・・・・あと12種類です。

それから・・・・
もうひとつ見つけてしまいました・・・。
C.C.Lemonについている、Golden Eggsのフィギュア・・・。これは全6種。
どれにするか5分くらい迷い、選んだのはPaul。明日はStephenを探します♪

ここで気づいた方もいるでしょう・・・・
何を隠そう私は何かを集めるのが好きな「コレクター症候群」なのです・・・・。
Star Wars、実はどの作品も、最後まで見たことがありません・・・。
でも、集めてしまうんです・・・・どなたか、私をとめてくださぁ~い・・・・。

これでは、減量どころか太ってしまいます・・・。

Thursday, July 3, 2008

機内での出来事

まずはじめに・・・。
乗ったのはNorth Westです。今までに一度だけ乗ったことがあるのですが、その時の経験があまりよくないので、今回も何か起こるだろうとは思っていました。
そして、今回でNWに乗ることはもうないでしょう・・。

※LAの空港のゲートでのこと。
ゲートの係員、日系人のおじさん、何がなんだか分からないがラテン系のお客さんに向かって、Calm Downと叫んでいる・・・私から見ると、そのおじさんがCalm Downが必要だと思うのだが・・・。とりあえず、お客に対して叫んではいけないだろう・・・、周りのお客も何が起こったのか注目するし、お客さんに恥を かかせることになるだろうと思うのだが・・・。

ゲートが開いてからの人の入れ方も最悪。おかげで隣の隣のゲートまで長蛇の列ができていた。いい迷惑だ。もっと効率を考えてほしいと思いながら、私もその長蛇の列に参加。30分以上待った・・。

※機内でのこと。
リクエストしていた通路側の席に着いたらすぐに、ゲイのアテンダンス Randyが席を窓側と交換してくれという。どうやら家族バラバラに座っている家族が二組いるからとのこと。
私、腰が悪いので、飛行中歩き回らないとならないからいやだと答えた。っていうか、その家族、何で家族で旅行なら席のリクエスト出さないんだろう?
アテンダンスがその家族に学習させる必要があると思った・・・結局Randyは30分以上乗客に聞きまわり、飛行機が動きだす寸前になんとかバラバラの家族をまとめたらしい。

飛行機が空港を飛び立ち、最初のミールも食べ終わり、乗客がうとうとし始めたころ、私の席の斜め後で、「うっ!うっ!」と言葉に表せないようなう めき声に近い声が聞こえ、声の方向に振り向くと、ある女性が全身を引きつらせはじめていた・・・。そして口から泡が・・・・。つまり「ひきつけ」を起こし ていた・・・。その女性の隣にいたお連れの女性が悲鳴をあげる・・・。

((あぁ・・・・予感した何かが起こった・・・と思った・・・・。))

ゲイのRandyが駆けつけ、他のアテンダンスに連絡、機内放送で医者を探す。白人女性が自分はナースだと言ってやってきた、その10分後に日本 人のBeamsのパンツをはいた若い医者も駆けつけた。が、Randyが脈を取ったり、病人に話しかけたりしていて細い通路から離れないので、ナースも医 者も病人には近づけない・・。

((なんだぁ?Randyはなにやっているんだぁ?))

他のフライトアテンダンスが、私と同じように?マークの顔になっているナースとドクターに、Randyはナースになりたい看護学校の学生だと説明する・・・。

((でも、彼、ライセンス持っていないよね?ナースじゃないよね?なんでどかないんだ?))

結局見ていたら、心臓のあるほうの胸にパッチをして心電図をとっているような?フラッシュライトで瞳孔などを確認したり・・・・やっと近づけたナースにメモを取らせたり・・・している。

((?  ?   ?   ?))   

Randyが酸素ボンベを取りに行っている間に、ナースがボソッとつぶやく。
「彼はライセンスを持っていないただの看護学生なのに、何なの?ここにはナースもドクターもいるのに・・・」

((もっともです。回りもそのように不思議に思っています・・・。))

そんなことをしている間に、Randyは飛行機を引き返すほうが良いと言い出し、機長に電話をし始めた・・・。

((おいおい、LAに引き返すって??????Randy、お前が決めるのか??????))

どうやら機長はナースと話をさせろと言ってきたようで、ナースが機長と電話で話している。
その会話を聞いていた乗客の一部がザワザワと騒がしくなる。そうこうしているうちに、他のフライトアテンダンスが気を利かせて、映画を上映し始め る。医者は病人をみて、今は落ち着いているから大丈夫だと言っているのに・・・Randyは無視・・・。とりあえず、ナースが次の発作が来なければ、大丈 夫とRandyに言い聞かせ、引き返せずにこのまま飛行を続けることになった。

何だろう???これでいいのだろうか?日本の航空会社とはまったく対応が曖昧な気がする。それに、ライセンスのないRandyがなんであの場を仕 切っているんだぁ??医者がアメリカ人でないから、Randyは彼をドクターだと認めないの??彼、ちゃんと英語でナースと話していたし・・・最近の日本 のドクターはドイツ語じゃなくて英語で医学勉強しているのに・・・。
(ちなみに、私の母とその元旦那(産みの父)はドイツ語を習わされたと言っています。)

よく分かりません。飛行機を降りた後、病人だったフィリピン人女性を見かけました。車椅子に乗っていたものの、顔色もよく、周りと笑顔で話していました。

とりあえず、自分が病人ではなくてよかったと思いました。
なぜなら、私は、Randyには診てほしいとは思いません。
でも良かった。彼女は大丈夫そうでした、そして空港の医務室?に行くと言っていました。

こんなことが私の斜め後ろで起こり、機内の通路は忙しく行きかうフライトアテンダンスで寝るなんてどころではなく・・・大変でした。

おかげで食後のジンを頼んでおいたのに、飲まずじまい・・・。席も立てずに、4時間おきにLortabを服用し、とんだフライトになってしまいま した。Lortabは本当だったら1日に4錠までっていわれたような・・・。その日は結局朝から7錠ぐらい飲んでしまいました。おかげで今日は胃が痛 い・・・。今日はイブプロフェン800mgのみの服用で何とか乗り切りました・・・。とはいっても、痛みは消えず・・・、なぜなら外は朝から雨です。。。

日本!!!!????

日本に帰ってきました...4年ぶりに。
アジア人がいっぱいで、怖くなりました・・・・。こんなにいっぱい見たのは4年ぶり・・・。

国際線で病人が出て、一時はLAに引き返すなんて話もありましたが・・・無事に成田に4時ごろ着きました。飛行機の中での出来事は明日ご報告いたします・・・。

とにかく・・・・・4年のギャップは大きく、戸惑いを隠せないJackrabbitです・・・・。
迎えに来てくれたマヒナさんと弟に、東京都内は石原都知事の陰謀で、電車はJR線を含めすべて地下に潜ったんだよと、教えられ成田エクスプレスに乗るまで本気で信じていました・・・・。

それから・・・、タバコを購入するのにID??見たいなカードが必要になったんですね?指差されたポスターをチラッと見ただけなので、よく理解していないのですが・・・、それも明日、区役所に行って来る時に確認します・・・。

では、飛行機の中で寝れなかったので、今日はもう寝ます!!
喘息の発作も飛行機の中で2回も起こったりと、今日は疲れました・・・。

おやすみなさい・・・。

なぜかのどが痛いJackrabbitでした・・・。

Tuesday, July 1, 2008

荷造り終りました!!!

現在7月1日午前1時15分になるところ。荷造り終りました!!!!
あとは・・・iPodに機内で観る予定のDVDを移しおえて完了!!!

チケットも持ったし・・・。
このLaptopを荷物に入れれば本当に完了!!わーい(嬉しい顔)

結局、預け荷物の重さがトータルで・・・・50Kg以上です。体重計で量るので少し多めにみていますが、もしものことを考え、Duct Tapeをもって空港に向かいます。

先ほど、ふと思い出したのは、重量オーバーって過去に2回もやっていました。
初めての重量オーバーは、2週間の研修で本や服やらローラーブレード、その他もろもろを買いすぎたこと。2回目は、短期留学で、すべての本や靴などは送ったのにもかかわらず、なぜか重量オーバー。で、”弟”にメチャメチャ笑われて。はずかしかったぁ・・・。あせあせ

2回とも荷物を預けるところで、長い列の冷たい目を尻目に、スーツケースをあけています。追加の箱をもらい、その中に物を放り込んで・・・・追加 料金を払い。。。冷や汗ものでした。無事に預け終わり、カウンターを離れたときに、待っていたお客さんに拍手をされたこともあります・・・・。げっそり

今回は、下調べをして重量オーバーの料金等を確認したのでスーツケース等をあけることはないと思うのですが・・・。そうならないことを願っています・・・。

フライトは
Salt Lake City 7/1 ( 9:35 am) → LA 7/1 (10:43am)
LA 7/1(1:20pm) → Narita 7/2 (4:30pm)

日本についたら・・・
缶コーヒー飲みたい!!!コーヒー
ラーメン食べたい!!どんぶり
ケーキが食べたい!ショートケーキ

今気づいたのですが・・・絵文字・・・Drスランプあられちゃん?!
ウンチくんアラレちゃんガッちゃんスッパマンオボッチャマンニコチャン大王ニコチャン家来ピースケ皿田キノコ
私、幼稚園の時に、アラレちゃんになりたくて近所のおねえさんに髪を紫にしてもらったら、親にも怒られ、翌日の幼稚園では家に帰されたのを思い出しました・・・。小学校の頃は、アラレちゃんと呼ばれたこともあったなぁ・・・。懐かしい。

荷造りって・・・

現在午後9時45分。
明日の朝9時には飛行機の中です・・・。
Oh, my goshhhh!!!!!
まだ荷造りは終らず・・・・。やる気もない・・・。
荷物が規定よりも重くなり・・・航空会社のカスタマーサービスに電話をし、重量オーバーの場合の費用の確認をしました。ネットで確認したものの以前に苦い思い出があるので確認の確認をしました。はぁ・・・。
めんどくさぁ~!!

こっちに帰ってくるときは、荷物少なくなるんだろうなぁ・・・。荷物のほとんどは
妹の子供へのプレゼントが主です・・・。

叔母ばかかぁ・・・・。