今学期は、写真のクラスはほとんど敗戦と言ったところでしょうか。
課題提出日までには、9枚で1シリーズ、なんとか間に合ったものの、質としては全く納得のいくものではなく、それを体調のせいにしてしまう自分にも嫌気がさして、何とも言えない苦い思いが残る今学期。
その今学期は、まだ終わった訳ではなく、あとビデオの課題が一つと、経済学のテストが一つ。なんとか、集中力を繋ぎ止めたいところですが、なかなか思うように行かず、悪戦苦闘中。
今学期の課題は先週で終わってしまったのですが、自分が望んでいるところまで辿り着くことが出来なかった訳で、自分としては悔しいわけです。年内に、とは言ってもあと数週間もないのですが、もう一度チャレンジして、なんとかある程度のところまで持っていけたらと思っています。どうなることでしょう。
ただ、今日までに11x14のファイバーを60枚以上使ってしまっているので、ここでやめたら、ただの無駄遣いでしかなくなってしまいます。特に今回は4x5での挑戦で、50枚近くのネガを使用しているにもかかわらず、自分が納得いくところまで到達できなかったことに、苛立つわけで。 やるしかないですね。そう、ここでやっておかないと、来学期、来年と続かなくなるんじゃないかとちょっと怖くなってしまいました。やります!来学期が始まる前に、完成は出来なくとも、1セット(5ショット)ぐらい、納得のいくものを作ります!!
ここで発言してしまった以上、やるしかないです。
こうやって、自分を追い込んでやっと動けるという自分に、歳を感じます。
歳の数に負けないほど、知恵がついているといいのですが、現実はそれほど甘くないですね。今回の課題のミスは、自分自身を過大評価してきたツケが回ってきたという感じです。
来年を気持ちよく迎えるため、今年も残り少ないですが、もう少し悪足掻きをしてみたいと思っています。
Tuesday, October 16, 2012
Wednesday, September 19, 2012
Monday, September 17, 2012
ダゲレオタイプ写真のワークショップ
先週の週末、二日間のダゲレオタイプ写真のワークショップに参加してきました。
ダゲレオタイプのワークショップと言うと、本当は何千ドルもかかって、5日間ほどかけるのが普通らしいのだけれど、今回のワークショップは試験的に、つまり ”ミニワークショップ” と言うことで学生が何とか払える額で二日間、ユタ大学の写真学部の一部の生徒を対象に行われました。主催者側にお世話になっている先輩(卒業生)がいたこともあり、優先して参加させてもらいました。(やはり、コネクションは大事ですね。)
今回のワークショップの数日前に、主催者側が地元の会社に、銅版に銀メッキを施したものをオーダーしたのですが、オーダー先がダゲレオタイプの写真術に使うものを専門に扱うところではなかったために、銀メッキが少し薄く、ワークショップで磨きをかけるという作業のときには一苦労しました。
その後のヨウ素蒸気にさらして表面に黄金色の均一なヨウ化銀の膜を形成するという作業も、これ又いろいろと問題が発生しまして、結局参加者の三分の二の学生しか銀板に画像を焼き付けることが出来ませんでした。
わたしはというと、一回目は全くダメで、神頼みをしながら撮影した二回目の銀板二枚は、奇跡的にも画像が浮かび上がり、成功!! 今回の現像には水銀を使用のため、参加者10人が交代で現像。と言うかんじで、結局、この2日間では定着の作業までは行き届かず、1週間経った今も定着が済んでいないのが、現状。ちょっと残念。
まぁ、写真の教科書でしか目にすることが出来なかったダゲレオタイプを、このワークショップに参加することで 一度は体験できたということは、とても貴重な良い経験となったのは事実。でも、欲が出てきて、次回も開催されるのなら少々参加費用が高くても、もう一度、今度は最後の定着まで体験したいと思ったりしている、今日この頃のわたしです。
とにかく、1830年代の写真術は、現在の写真術に比べるとかなり手がかかると言うのが率直な感想ではありました。でも楽しかったぁ!!!
ダゲレオタイプのワークショップと言うと、本当は何千ドルもかかって、5日間ほどかけるのが普通らしいのだけれど、今回のワークショップは試験的に、つまり ”ミニワークショップ” と言うことで学生が何とか払える額で二日間、ユタ大学の写真学部の一部の生徒を対象に行われました。主催者側にお世話になっている先輩(卒業生)がいたこともあり、優先して参加させてもらいました。(やはり、コネクションは大事ですね。)
今回のワークショップの数日前に、主催者側が地元の会社に、銅版に銀メッキを施したものをオーダーしたのですが、オーダー先がダゲレオタイプの写真術に使うものを専門に扱うところではなかったために、銀メッキが少し薄く、ワークショップで磨きをかけるという作業のときには一苦労しました。
その後のヨウ素蒸気にさらして表面に黄金色の均一なヨウ化銀の膜を形成するという作業も、これ又いろいろと問題が発生しまして、結局参加者の三分の二の学生しか銀板に画像を焼き付けることが出来ませんでした。
わたしはというと、一回目は全くダメで、神頼みをしながら撮影した二回目の銀板二枚は、奇跡的にも画像が浮かび上がり、成功!! 今回の現像には水銀を使用のため、参加者10人が交代で現像。と言うかんじで、結局、この2日間では定着の作業までは行き届かず、1週間経った今も定着が済んでいないのが、現状。ちょっと残念。
まぁ、写真の教科書でしか目にすることが出来なかったダゲレオタイプを、このワークショップに参加することで 一度は体験できたということは、とても貴重な良い経験となったのは事実。でも、欲が出てきて、次回も開催されるのなら少々参加費用が高くても、もう一度、今度は最後の定着まで体験したいと思ったりしている、今日この頃のわたしです。
とにかく、1830年代の写真術は、現在の写真術に比べるとかなり手がかかると言うのが率直な感想ではありました。でも楽しかったぁ!!!
Friday, August 31, 2012
Eye
It is as old as I am.
It is from Japan just as me.
It captures everything like my eyes.
The black heavy body is well-built like me.
When I fold it, the form is like my dad’s Bento box.
I love this black box, because it never lies to me.
It tells me the truth anywhere, anytime I want.
It is like my eyes.
If I don’t want to see something, I will close its eye.
It is like my eyes.
It is also my eye.
It is from Japan just as me.
It captures everything like my eyes.
The black heavy body is well-built like me.
When I fold it, the form is like my dad’s Bento box.
I love this black box, because it never lies to me.
It tells me the truth anywhere, anytime I want.
It is like my eyes.
If I don’t want to see something, I will close its eye.
It is like my eyes.
It is also my eye.
Thursday, August 9, 2012
感情
当たり前のことだけれど、時々忘れてしまう。「感情」とは、他人と共有出来るようで出来ないもの。「共感する」ことも、本当のところどうなのだろう。
感情は目に見えるものではない。感情によって生み出される顔の表情や音となって現れる歓喜や嗚咽等にとって、わたし達他人はその人の思うところを察しようと努力する。
海外に出てよく言われるのは、アジア人(特に韓国人、日本人)は目でものを言うことが出来ると。それが、今で言う「空気を読む」ということなのか、わたしたちアジア人は注意深く相手の表情や仕草から相手の思いを読むことが出来るということなのかはわからないが、アジア人は相手の感情を読むことが出来ると言われている。どちらにせよ、折角アジア人として生まれてきたのだから、そういう目をもって写真を撮れればいいのにと思うのだが、なかなかそう上手くはいかないのが現実。
今回の帰国では、前回のカメラに加え、新たに7Dを加えて撮る気満々で帰国したのだけれど、6週間が過ぎた今、鞄を覗いてみれば何本ものフィルムが封を開けられることなく綺麗に並べられたまま。
なぜ、カメラを持ち歩いてはいるのにシャッターを切れないのか。
そんな事を考えながら、先週一人旅に出た。もちろんカメラとフィルムを鞄に詰め込んで。でも、同じ。やっぱり撮れない。
旅の途中で気がついた。自分が撮りたい写真って、(多分)日本ではなく、自分の内面にある日本なんじゃないかと。故郷を思う心だったり、両親や祖母から教わった、もの一つ一つに対する愛情や情、そんなものを、海外に住みながらも日本人らしく、表して行きたいのかな。
海外にいて忘れそうになっちゃう、日本人の心、忘れちゃわないように、必死にしがみついているみたいな、そんな写真。今のわたしがわたしらしく撮れる写真で、今はそういうのが撮りたいんだろうな。
感情は目に見えるものではない。感情によって生み出される顔の表情や音となって現れる歓喜や嗚咽等にとって、わたし達他人はその人の思うところを察しようと努力する。
海外に出てよく言われるのは、アジア人(特に韓国人、日本人)は目でものを言うことが出来ると。それが、今で言う「空気を読む」ということなのか、わたしたちアジア人は注意深く相手の表情や仕草から相手の思いを読むことが出来るということなのかはわからないが、アジア人は相手の感情を読むことが出来ると言われている。どちらにせよ、折角アジア人として生まれてきたのだから、そういう目をもって写真を撮れればいいのにと思うのだが、なかなかそう上手くはいかないのが現実。
今回の帰国では、前回のカメラに加え、新たに7Dを加えて撮る気満々で帰国したのだけれど、6週間が過ぎた今、鞄を覗いてみれば何本ものフィルムが封を開けられることなく綺麗に並べられたまま。
なぜ、カメラを持ち歩いてはいるのにシャッターを切れないのか。
そんな事を考えながら、先週一人旅に出た。もちろんカメラとフィルムを鞄に詰め込んで。でも、同じ。やっぱり撮れない。
旅の途中で気がついた。自分が撮りたい写真って、(多分)日本ではなく、自分の内面にある日本なんじゃないかと。故郷を思う心だったり、両親や祖母から教わった、もの一つ一つに対する愛情や情、そんなものを、海外に住みながらも日本人らしく、表して行きたいのかな。
海外にいて忘れそうになっちゃう、日本人の心、忘れちゃわないように、必死にしがみついているみたいな、そんな写真。今のわたしがわたしらしく撮れる写真で、今はそういうのが撮りたいんだろうな。
Tuesday, July 17, 2012
日本
日本に戻り、3週間が経った。
今日は、Tylerがアメリカに戻る日だったので、成田空港まで見送りに行った。今回は7週間の帰国の予定なので、わたしにはあと4週間弱、日本で生活する時間が残されている。Tylerを見送りながらふと考えた。これから先、一体わたしは何回、元気な祖母たちに会えるのだろうか。そして、何回親孝行が出来るのだろうか。そんなことを考えながら、わたしは成田空港から今回の滞在先である妹家族の家に向かっている。
日本を出ることを選んだのは自分自身なのだが、生まれ育った国を離れるということが、こんなにも複雑な気分になることなど、全く思いもよらなかった。なので、わたしは日本に帰り度に、困惑する。
自国を離れても、わたしがなに人であるかは、決して変わらない。だから、どこにいても、"日本人"であることを誇りに思い、日本人らしく伝統やしきたり等を重んじ、いつまでも日本人でいたいと思う。
わたしの原点は日本にあることを忘れずにいたい。
今日は、Tylerがアメリカに戻る日だったので、成田空港まで見送りに行った。今回は7週間の帰国の予定なので、わたしにはあと4週間弱、日本で生活する時間が残されている。Tylerを見送りながらふと考えた。これから先、一体わたしは何回、元気な祖母たちに会えるのだろうか。そして、何回親孝行が出来るのだろうか。そんなことを考えながら、わたしは成田空港から今回の滞在先である妹家族の家に向かっている。
日本を出ることを選んだのは自分自身なのだが、生まれ育った国を離れるということが、こんなにも複雑な気分になることなど、全く思いもよらなかった。なので、わたしは日本に帰り度に、困惑する。
自国を離れても、わたしがなに人であるかは、決して変わらない。だから、どこにいても、"日本人"であることを誇りに思い、日本人らしく伝統やしきたり等を重んじ、いつまでも日本人でいたいと思う。
わたしの原点は日本にあることを忘れずにいたい。
Tuesday, May 29, 2012
シノゴの言わないで
先月、いや2ヶ月にもなるんだね、わたしのところにTOYO爺さんがやってきたのは。
わたしのところにやって来たのは、Toyo-view45A。Toyo-view45というカメラは1959年からつくられているようですが、わたしのカメラは中古で安く譲り受けたものなので、いつごろの製品かは不明。でも、わたしのTOYO爺さん、ほとんど傷もなく、すごく綺麗です。もちろん蛇腹部分は歳相応のダメージがありますが。
本日、やっと試し撮りに出かけました。
でも、35mmや中判とは違い、何枚も何十枚も一回の撮影で取れるわけはなく、今回は6枚。でもそのうち一枚はフィルムホルダーと圧板のかみ合いが悪くって没。 まぁ、真面目に4x5初日なんですから、これからです。これから徐々に慣れていこうと思います。
ただ、Viewカメラなんで、本当は室内でスタジオ用に使われるのが普通なんですよね。だから大きいし、重いし。来月の日本行き、やはりTOYO爺さんは自宅待機となりそうです。 ただ、4x5のネガのあの大きさに見せられてしまっては、簡単には諦めきれない。と言うことで、今は中古で安くFieldカメラを手に入れようと企み中。しかし、三十路を過ぎて2度目の大学生活、それもWMajor(Fine Arts & Econ)+1Minor(Arts Tech)何ぞしているわたしには、2台目の4x5は夢に近いなぁ。
写真は現像が出来次第、ホームページを復活して載せることとします。
あぁ、日本に行く前に終わるかなぁ。
=お知らせ=
わたしが日本に帰国する予定の7月から8月にかけて、ユタ州オレム市のUtah Valley Universityという大学のミュージアムにて、わたしの作品が2点展示されることになりました。
今回の作品もSilver Printです。黒をメインに、ネガティブスペースを生かした作品となり、去年の作品と比べるともう少し落ち着いた静かな作品となりました。
応援してくださる皆様、いつもありがとうございます。 今後も自分らしさを探しつつ、引き続き作品作りに頑張っていきたいと思います。今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。
http://www.uvu.edu/museum/exhibitions/upcoming.html
わたしのところにやって来たのは、Toyo-view45A。Toyo-view45というカメラは1959年からつくられているようですが、わたしのカメラは中古で安く譲り受けたものなので、いつごろの製品かは不明。でも、わたしのTOYO爺さん、ほとんど傷もなく、すごく綺麗です。もちろん蛇腹部分は歳相応のダメージがありますが。
本日、やっと試し撮りに出かけました。
でも、35mmや中判とは違い、何枚も何十枚も一回の撮影で取れるわけはなく、今回は6枚。でもそのうち一枚はフィルムホルダーと圧板のかみ合いが悪くって没。 まぁ、真面目に4x5初日なんですから、これからです。これから徐々に慣れていこうと思います。
ただ、Viewカメラなんで、本当は室内でスタジオ用に使われるのが普通なんですよね。だから大きいし、重いし。来月の日本行き、やはりTOYO爺さんは自宅待機となりそうです。 ただ、4x5のネガのあの大きさに見せられてしまっては、簡単には諦めきれない。と言うことで、今は中古で安くFieldカメラを手に入れようと企み中。しかし、三十路を過ぎて2度目の大学生活、それもWMajor(Fine Arts & Econ)+1Minor(Arts Tech)何ぞしているわたしには、2台目の4x5は夢に近いなぁ。
写真は現像が出来次第、ホームページを復活して載せることとします。
あぁ、日本に行く前に終わるかなぁ。
=お知らせ=
わたしが日本に帰国する予定の7月から8月にかけて、ユタ州オレム市のUtah Valley Universityという大学のミュージアムにて、わたしの作品が2点展示されることになりました。
今回の作品もSilver Printです。黒をメインに、ネガティブスペースを生かした作品となり、去年の作品と比べるともう少し落ち着いた静かな作品となりました。
応援してくださる皆様、いつもありがとうございます。 今後も自分らしさを探しつつ、引き続き作品作りに頑張っていきたいと思います。今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。
http://www.uvu.edu/museum/exhibitions/upcoming.html
Wednesday, May 23, 2012
井戸の底にさす僅かな光
Fine Arts、辞めなくってよかったです。
やっぱり、ArtってcomunicationのToolなんですね。大好きだった人に、上手く自分の想いを伝えられないのと同じなんですよね。 恋愛も、いつも失恋ばっかりじゃないでしょう?時々は、両想いになって、二人で一緒の時間を過ごしながらcomunicationを図っていく。
実は、今年も他大学のMuseumでわたしの作品を二点飾ってもらえることになりました。わたしが写真によって伝えたいこと、上手く伝わらないこともあるけれど、わかってくれる人もいるんですね。このままの自分でいいといってくれる人がいるんです。なんだか恋愛みたいだと思いませんか?
デジタルカメラの出現で、誰でもそこそこの写真が撮れて、FBとかBlogとか色々な発表の場があって、評価されることが当たり前で、評価されない作品は価値がないように感じてしまう。前学期のクラスも同じ。作品と自分との関係より、作品が人々の目にどう映るかの方が大事。ハリウッドの映画のようなMarketing重視の映画じゃなくってさ、もっとなんていうか、映画らしい映画、わたしはそういうのがいいと思う。
わたしにとっては、作品と自分との関係のほうが、作品と人々の目にどう映るのかよりもずーっと大事。インストラクターとは、こういうアートに対しての意見の食い違いで、一時は経済学部のみで卒業しようって本気で考えた。だから、学期末の課題、本気で辞めようと思っていたからインストラクターの言うことなんか全くの無視で、自分のやりたいように やった。自分が想うように、正直に撮った。
伝わる人には、伝わるんだ。
いきなり落ちた井戸の底。真っ暗闇のなか、何度も何度も叫んだけれど助けは来ない。叫びつかれて、座り込んでいたわたし。いきなりわたしの頭の上に僅かだけれど、あたたかい光がさした。そのあたたかさがうれしかった。
今回、大学の先輩2人も一緒で、展示されることになりました。それも、あの尊敬している先輩と一緒。なんだか、うれしくってうれしくって。 がんばりなさいと言われているようで、ちょっと照れくさかった。日本で少し充電して、もう少しがんばってみようとおもった。
井戸に落ちてしまったけれど、光が見えるんだから、それを目指してがんばって登ってみようとおもう。足が滑っても、一生懸命登ってみようとおもう。僅かな光かもしれないけれど、あの光を頼りに。
やっぱり、ArtってcomunicationのToolなんですね。大好きだった人に、上手く自分の想いを伝えられないのと同じなんですよね。 恋愛も、いつも失恋ばっかりじゃないでしょう?時々は、両想いになって、二人で一緒の時間を過ごしながらcomunicationを図っていく。
実は、今年も他大学のMuseumでわたしの作品を二点飾ってもらえることになりました。わたしが写真によって伝えたいこと、上手く伝わらないこともあるけれど、わかってくれる人もいるんですね。このままの自分でいいといってくれる人がいるんです。なんだか恋愛みたいだと思いませんか?
デジタルカメラの出現で、誰でもそこそこの写真が撮れて、FBとかBlogとか色々な発表の場があって、評価されることが当たり前で、評価されない作品は価値がないように感じてしまう。前学期のクラスも同じ。作品と自分との関係より、作品が人々の目にどう映るかの方が大事。ハリウッドの映画のようなMarketing重視の映画じゃなくってさ、もっとなんていうか、映画らしい映画、わたしはそういうのがいいと思う。
わたしにとっては、作品と自分との関係のほうが、作品と人々の目にどう映るのかよりもずーっと大事。インストラクターとは、こういうアートに対しての意見の食い違いで、一時は経済学部のみで卒業しようって本気で考えた。だから、学期末の課題、本気で辞めようと思っていたからインストラクターの言うことなんか全くの無視で、自分のやりたいように やった。自分が想うように、正直に撮った。
伝わる人には、伝わるんだ。
いきなり落ちた井戸の底。真っ暗闇のなか、何度も何度も叫んだけれど助けは来ない。叫びつかれて、座り込んでいたわたし。いきなりわたしの頭の上に僅かだけれど、あたたかい光がさした。そのあたたかさがうれしかった。
今回、大学の先輩2人も一緒で、展示されることになりました。それも、あの尊敬している先輩と一緒。なんだか、うれしくってうれしくって。 がんばりなさいと言われているようで、ちょっと照れくさかった。日本で少し充電して、もう少しがんばってみようとおもった。
井戸に落ちてしまったけれど、光が見えるんだから、それを目指してがんばって登ってみようとおもう。足が滑っても、一生懸命登ってみようとおもう。僅かな光かもしれないけれど、あの光を頼りに。
Wednesday, May 9, 2012
自分の思うように
なんとか春学期が終わり、徐々に日本に帰る用意をしている、そんな日々が始まりました。先日やっと衣替えも終え、少しずつ古いものを家から出したりしています。断捨離まではなかなか到達出来そうにありませんが、自分のペースで無理なく進めて行こうと思っています。
さて、今回の春学期ですが、本当にシンドかった。精神的にも体力的にもきつかった。それでも何とか学期末の課題は仕上がり、提出までこぎつけることが出来、ホッとしました。
学期の真っ只中、美術なんて辞めて経済学部のみの卒業でいいじゃないかとか考えたり。自分は何のために、なぜ美術を学んでいるのかわからなくなり何ヶ月か悩みました。
実は、今学期から新しく入ったインストラクター(院卒生)との考えの食い違いにより生じた摩擦が原因なのです。(
まぁ詳しい話は省略するとして)
なぜ美術を学ぶのか、学びたいのか。
まだまだ考えています。ただ、今わかることは、アーティストに成りたいから美大に通っているのではなく、美術とはなんだろうと思ったから、美術を学びに美大に通っているのです。どの様にそれは作られたのか、どんなコンセプトが元なのか、それを見たわたしは、どの様に感じたかを上手く言い表す事ができる様に。
美術は面白いです。何故って、言葉に言い表せない言い表し難い感情等をアートによって表現する人がいれば、そのアーティストが言い表せなかった感情等を、手法や使われた材料から分析し、上手く言葉に表してしまう人がいる。
言葉でも人を傷つけることもあるけれど、写真やフィルムという分野では映像や画像によって人を傷つけることもあることに今更ながらに痛感したり。
今学期は友人、クラスメートには何度も助けられました。ありがたいです。
今は、「自分の人生なのだから、目一杯自分の思うようにやっていこう!先日、癌で亡くなった友人の分まで目一杯生きていこう」、そう思っています。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
さて、今回の春学期ですが、本当にシンドかった。精神的にも体力的にもきつかった。それでも何とか学期末の課題は仕上がり、提出までこぎつけることが出来、ホッとしました。
学期の真っ只中、美術なんて辞めて経済学部のみの卒業でいいじゃないかとか考えたり。自分は何のために、なぜ美術を学んでいるのかわからなくなり何ヶ月か悩みました。
実は、今学期から新しく入ったインストラクター(院卒生)との考えの食い違いにより生じた摩擦が原因なのです。(
まぁ詳しい話は省略するとして)
なぜ美術を学ぶのか、学びたいのか。
まだまだ考えています。ただ、今わかることは、アーティストに成りたいから美大に通っているのではなく、美術とはなんだろうと思ったから、美術を学びに美大に通っているのです。どの様にそれは作られたのか、どんなコンセプトが元なのか、それを見たわたしは、どの様に感じたかを上手く言い表す事ができる様に。
美術は面白いです。何故って、言葉に言い表せない言い表し難い感情等をアートによって表現する人がいれば、そのアーティストが言い表せなかった感情等を、手法や使われた材料から分析し、上手く言葉に表してしまう人がいる。
言葉でも人を傷つけることもあるけれど、写真やフィルムという分野では映像や画像によって人を傷つけることもあることに今更ながらに痛感したり。
今学期は友人、クラスメートには何度も助けられました。ありがたいです。
今は、「自分の人生なのだから、目一杯自分の思うようにやっていこう!先日、癌で亡くなった友人の分まで目一杯生きていこう」、そう思っています。
どうぞこれからもよろしくお願いします。
Friday, March 30, 2012
自分を見つめ直す
先々週にあった奨学金の選考。
今年は残念な結果となりました。
反省点は、まず応募の際に自覚していたことですが、この1年、自分自身に全くの上達がないこと。去年頂いた奨学金を無駄にしてしまった気がします。増えたのはカメラとくだらない写真の山。Passionが薄れていた、無かったと言った方がいいかもしれません。煽てられた豚が木に登って降りられなくなった。今回の選考によって引きずり降ろされた。そんなところです。
一つ心残りがあると言えば、メモリーズの説明文が足りなかった為に、見る側とのコミュニケーションが殆どとれなかったことでしょうか。
今学期が終わり次第、ホームページの更新をするとともに、作品をアップし、もう一度、見る側とのコミュニケーションを図ってみたいと考えています。
まぁ、チャンスはあと一回残っていることですし、この夏日本に帰り、今後のこと、写真のこと、色々考えてみようと思います。
- Posted from etsphone
Thursday, February 2, 2012
Authentic
わたしが人を撮るのが好きではない理由はいろいろあるけれど、最も大きな理由の一つにauthenticを追求したいと言うのがあるのではないかと思う。
去年からデジタルカメラを使い始め、editingのクラスを取っているのだけれど、授業を受けていけばいくほど、もっともっと人を撮りたいという感情は無に近くなっていく。
80年代、90年代始めの頃のように、有りのままの自然な写真は、もう受け入れてはもらえないのだろうか?
あなたの何気ない仕草、表情、そしていつもの笑顔。私の目の前にいるあなた。わたしにはそれが私の目の前に写るあなたなんです。
あなたの顔にあるホクロ、ニキビのあと。あなたは好きではないかもしれないけれど、わたしの知るあなたには欠かせないトレードマーク。憎まず、愛してほしい。
ありのままのあなた、わたしはそんなあなたを撮ることが出来たらと思います。
そして、そのための技術をクラスで学びたいと思うのです。
- Posted from etsphone
去年からデジタルカメラを使い始め、editingのクラスを取っているのだけれど、授業を受けていけばいくほど、もっともっと人を撮りたいという感情は無に近くなっていく。
80年代、90年代始めの頃のように、有りのままの自然な写真は、もう受け入れてはもらえないのだろうか?
あなたの何気ない仕草、表情、そしていつもの笑顔。私の目の前にいるあなた。わたしにはそれが私の目の前に写るあなたなんです。
あなたの顔にあるホクロ、ニキビのあと。あなたは好きではないかもしれないけれど、わたしの知るあなたには欠かせないトレードマーク。憎まず、愛してほしい。
ありのままのあなた、わたしはそんなあなたを撮ることが出来たらと思います。
そして、そのための技術をクラスで学びたいと思うのです。
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Tuesday, January 31, 2012
Struggling
Friday, January 6, 2012
写真
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