Monday, February 11, 2013

今が重要な転機

たしか、数週間前のブログでのわたしは、Fine ArtsとEconのW Majorで2014年の春卒業すると言い切った気がします。しかし、この5週間でわたしの心と頭の中では少し変化が起き、今後のことをもう少し具体的に考えるようになりました。そして今、結論を出すべきではないかと思うようになりました。


来年がFine Artsでの最後の年となります、そして経済学部もあと3つクラスを取れば卒業というところまできました。来年卒業ということは、Fine Artsの学部の奨学金の応募も来月の締め切りが最後ということです。今年も挑戦だけはしようと思い、それに向けて作品を作ったり纏めたりし始めたのが約5週間ほど前。その準備をしているうちに、経済学部の授業の予習やら、毎回の小グループでのリベートのためのリサーチやらが怠っていることには薄々は気がついていました。経済学だけではありません、Fine Artsのほうも同じです。毎週、週を重ねるごとに、自分が頭も心もどっちつかずになっていることにも気がつきました。

このまま続けていくのは無理だろうと思うようになったのは先週からでしょうか。奨学金のためのポートフォリオの選考会があと1ヶ月弱に迫った先週末。結局自分は、これから何をしていきたいのか、何をして生活していきたいのか。そんなことを丸三日考えるうちに、Fine Artsに専念したいのだと気がついたのです。先週の土曜日に行った、Printmaking のOpen Houseで先生とすこし話をしたからでしょうか?他愛もない話だったけれど、先生の作品のコンセプトやらを聞いているうちに、自分の中でも次の作品へのアイディアが湧いてワクワクしている自分がいました。どんな仕事であれ、自分の作品は作り続けていきたいし、そのフィールドからは離れたくはないなぁと思うのです。

もちろん、ビジネスのフィールドから離れて4、5年。そのブランクを取り戻すのは至難の業で、それに怖じ気づいたことも確かです。では、せっかく入り口まで辿り着くことの出来たFine Artsというフィールドからすこし離れることと、どちらがどれだけ辛いのだろうと考えてみたのです。もちろん、Fine Artsなんて全く軌道に乗っているわけでもない。少しばかりアーティストとのつながりが出来つつあるというレベル。自分が表現したいことがどこまで人々に伝わるかはわからない。でも、言葉ではない表現を通じて広がる人とのつながりが、今は楽しくて面白くて、わたしの心をドキドキさせる。素のままの自分の声を受け止めてくれる人がいるということを知る、喜び。

わたしがもう少し器用であったら、経済学部もMajorとして卒業をするのだろうけど。今の自分がやりたいこと、学びたいこと、そういう自分の好奇心を満たし、そのフィールドの隅にでも留まらせるためのToolとしての知識を得ることが出来るのは、やはりFine Artsだと思うのです。

Artなんか、努力して何とかなるものじゃないと信じている父にはきっと言い訳にしか聞こえないんだろうと思う。日本を離れて、ここUSでの第二の人生なんだから、少しぐらいやりたいことをやってみてもいいんじゃないかって思う。自分の人生だもの、人に迷惑かけなきゃ、やりたいことをトコトンやりたいだけやってもいいじゃない?幸いにも、パートナーはこの考えに賛成。きっとこれからももっと苦労するんだろうと思う。でも、新しいアイディアをどのように作品に落としていくかとか考える時間は苦しいけれど、どんなものにも代え難い楽しい時間であると思う。

ということで、大学生活の残りの1年は、Fine ArtsをMajor、経済学はMinor、そしてArt Technology Certificate のちょっと変更ありの3本立てで頑張っていこうと思います。とは言っても、経済学はあと3つで卒業だったからほんの少し残念な感じは残りますが、経済学関連の仕事をすることよりも、Art関連の仕事に就きたい自分の意志を尊重すれば、ここはあまり貪欲にはならずにいようと思います。

それにしても、やっぱりちょっと悔しいかも。でもね、来年、みっちり1年、作品作りだけを考えていればいいのだと思えば、それはそれですごく幸せなはず。将来ずっと作品を作り続けながら、ビデオ編集やらカラーコレクションやらの仕事をしながら、Artと関わりを持つことが出来るかもしれないということを考えれば。。。。残りの一年は、もっとビデオ編集やらのクラスを撮ったりと生き残るための術をもうすこし学んでいきたいと思います。

よし、言い切った。これ以上はこのことについては考えない。
ということで、あとは奨学金、もらえるように作品作り、がんばります。