Friday, August 31, 2012

Eye

It is as old as I am.
It is from Japan just as me.
It captures everything like my eyes.
The black heavy body is well-built like me.
When I fold it, the form is like my dad’s Bento box.
I love this black box, because it never lies to me.
It tells me the truth anywhere, anytime I want.
It is like my eyes.
If I don’t want to see something, I will close its eye.
It is like my eyes.
It is also my eye.

Thursday, August 9, 2012

感情

当たり前のことだけれど、時々忘れてしまう。「感情」とは、他人と共有出来るようで出来ないもの。「共感する」ことも、本当のところどうなのだろう。
感情は目に見えるものではない。感情によって生み出される顔の表情や音となって現れる歓喜や嗚咽等にとって、わたし達他人はその人の思うところを察しようと努力する。
海外に出てよく言われるのは、アジア人(特に韓国人、日本人)は目でものを言うことが出来ると。それが、今で言う「空気を読む」ということなのか、わたしたちアジア人は注意深く相手の表情や仕草から相手の思いを読むことが出来るということなのかはわからないが、アジア人は相手の感情を読むことが出来ると言われている。どちらにせよ、折角アジア人として生まれてきたのだから、そういう目をもって写真を撮れればいいのにと思うのだが、なかなかそう上手くはいかないのが現実。

今回の帰国では、前回のカメラに加え、新たに7Dを加えて撮る気満々で帰国したのだけれど、6週間が過ぎた今、鞄を覗いてみれば何本ものフィルムが封を開けられることなく綺麗に並べられたまま。
なぜ、カメラを持ち歩いてはいるのにシャッターを切れないのか。
そんな事を考えながら、先週一人旅に出た。もちろんカメラとフィルムを鞄に詰め込んで。でも、同じ。やっぱり撮れない。
旅の途中で気がついた。自分が撮りたい写真って、(多分)日本ではなく、自分の内面にある日本なんじゃないかと。故郷を思う心だったり、両親や祖母から教わった、もの一つ一つに対する愛情や情、そんなものを、海外に住みながらも日本人らしく、表して行きたいのかな。
海外にいて忘れそうになっちゃう、日本人の心、忘れちゃわないように、必死にしがみついているみたいな、そんな写真。今のわたしがわたしらしく撮れる写真で、今はそういうのが撮りたいんだろうな。