Wednesday, July 30, 2008

心の渇きを癒すかのように、むさぼるように読んでいた本を読み終えた。
あの人と向き合うために、心の準備をするかのように。

読み終えたあと、私は泣いた、何時間も泣いた。

「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。
たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかっ た。”あの人”の死が僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことは出来ないのだ。どのような 真理も、どのような誠実さも、そのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことは出来ないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何 かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何も役に立たないのだ」

全くその通りだと思った。

私は今、とても哀しくて、涙を流している。
あの人が亡くなって6年が過ぎているのに、私はあの人がこの世のどこを探しても、もう見つけることができないという真実を今日知った。お墓を見よ うが、あの人の家族に会おうが、それでも、どこかであの人を探していた自分に、今日気づいていしまったのだ。そして、あの人を私は何度となく傷つけてきた ことは紛れもない真実だった。

その本が私に言った。

「あなたがもし”あの人”の死に対して何か痛みのようなものを感じるのなら、あなたはその痛みを残りの人生をとおしてずっと感じつづけなさい。そ してもし学べるものなら、そこから何かを学びなさい。でも、それとは別に幸せになりなさい。・・・・辛いだろうけど強くなりなさい。もっと成長して大人に なりなさい」

私は今日、あの人のお葬式をしてきます。
出席することが出来なかったお葬式、今日あの人のお葬式をします。

私は何かを学べるだろうか、この哀しみから何かを学べるだろうか。
それとも、私の残りの人生はその何かを見つけることなのだろうか。

彼の最後の言葉を思い出す。
「幸せにな」

私は幸せにならなくてはならない。
あの人のぶんもあわせて幸せにならなくちゃ。