その日の提出課題は、ポートレイトで3枚提出。
1枚目は、オリジナル。2枚目は、リタッチ。3枚目は、ちょっといきすぎちゃったリタッチ。
クラスメイトみんなの作品を壁に張り出し、お互いに意見を交換したりと品定め。授業が始まると、一枚一枚を細かくクラス全体で評価していった。
ここまではよかった。
ここからが問題。あるクラスメイトの作品。コンクリートの壁の前で白人のスケートボードを抱えた男の子が写っている。その男の子の着ているTシャツには「アジア人はクールだ」と書かれている。1枚目、2枚目までは問題がなかったのだけれど、3枚目でその白人の男の子の顔とTシャツの文字に手が加えられている。男の子の目は細く垂れ下がり、TシャツのクールのLがRに変えられている。
いくら課題だからといっても、これもそのクラスメイトの一作品なのだから、なにかコンセプトがあるのだろうと聞いていると。。。。。コンセプトもアイディアも何もない。ただ笑って、「アジア人のほとんどが目が細く、Rが発音できないから」と。
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今年の春から暗室のボランティアを一緒にしていただけに、その彼女の発言には絶句した。
25歳を過ぎて渡米したわたしの英語はまだまだ日本語のアクセントが強く、なかなか直らない。ESLの先生達からも、「やはり若いうちに渡米した人と比べたら、アクセントを直すには相当の努力が必要だし、人によっては直らないこともある」そう言われてきた。その言葉で何度も救われたし、気分が楽になった。
とは言え、やはり接客業である本屋の仕事では、特に電話での会話で苦労することもある。時には「英語が話せる人と代わってくれ」と言われることさえもある。(もちろん大抵の場合、お客さんの欲しいものがストックなしでオーダー出来ないというような状況の場合によく起こり、アメリカ人に代わってもその状況は変わらないのだけれど。)そんなことで、アクセントについてはかなりのコンプレックスを感じているのだけれど、他の言語を話せるようなアメリカ人でない限り、わたしのもつアクセントが煩わしく感じる人は多い。もちろん、日本人のもつアクセントだけでなく、インド人だったり、メキシコ人だったり、イギリス人だったりしても同じなのだけど。(あるオーストラリア人の友人は、お客さんに「イギリスに帰れ」と言われた。)
ともかく、その3枚目の写真で、はじめは笑っていたクラス全体が徐々に笑みを失い、わたしの顔色をうかがった。わたしは、(多分怒りで)震えを押さえるので精一杯。本当だったら、教室を出て行けばよかったのだけれど、ここで何か議論を始めても始まらないし、クラスの殆どが何かを察してくれていたので黙って席で震えを押さえていた。
その日から今日で一週間。わたしは未だに彼女の顔をまともにみることは出来ないし、彼女がいる前で英語を話すのが怖い。先週末、何度も何度も時間をかけて考えた結果、教授に話しにいった。今後のこともあり、デパートメントの責任者に話を持っていくことになった。
彼女が嫌いになった訳じゃない。一週間経った今思うことは、悔しかった。自分の英語に。彼女の取った行動に。悲しかった。彼女が笑って言ったことに。
今回の件で、Conceptualというカテゴリーについて考えたし、調べたりもした。その時間は決して無駄ではなかったし、これからもわたしはConceptualというカテゴリーへの興味は持ち続けるだろう。これは、少なかれ彼女のあの写真のおかげと言ってもいいかもしれない。それだけは感謝したいと思う。