Monday, December 9, 2013

学期末の課題

今学期の学期末の課題は、夏に訪れた仙台の写真をミニシリーズとして提出の予定で進めています。

仙台と言っても、2年3ヶ月後の被災地を撮りました。2泊3日の予定で向かった被災地。日本を離れているため、2年も経ってしまうとなかなか現状を伝えてくれる情報は少なく、それでも一度は何が起こったか、そして現在両親が住む東海地方で将来どのような事が起こりうるのかを確認したく、夏、日本に、そして被災地に向かいました。

現状は、想像していたのとは全く違いました。写真科を専攻するからにはしっかりと写真をと思っていたのにも関わらず、一枚も撮ることが出来ず一泊滞在を伸ばしても、シャッターを切ることが出来なかった。涙が途切れなく流れ、そこに立っているのがやっとだった。逃げるように東京に戻り、2泊じっくり考え、その後の旅行の予定とホテルを全てキャンセルし、再び被災地へ。ボランティアの予定も組んで再び。何度も何度もカメラを構えては、諦める。二度目の滞在も同じことの繰り返し。それでも、なんとかやっとシャッターを切る。そうやって撮った数枚の写真。多少はぶれていたりするけれど、今のわたしにはそれが精一杯の写真。

誰かと共有したくて撮る写真ではなく、自分の記憶をより鮮明に残すための、記憶のサポートとしての写真。デジタルで撮れた数枚の写真。やっとの事で大きさを決め、そしてプリント。

教授と一対一のミーティングで見せるのみと考えていたけれど、この2週間でpublicに公開することを決めた。気分は、個人的な日記を編集なしで見知らぬ人に読まれる感じ。

見る人によっては、あの出来事を思い出す人もいるだろう、もしかしたら写真の場所がわからない人もいるだろう。見る人それぞれのbackgroundやeducationによって、当然見方は変わるだろう。私の感情に全く関係なく、私の写真はその壁を通り過ぎる人々に見るか見ないか、見た人にはどう見るかが委ねられる。Artist statementもcaptureもなく、それらはpublicに曝される。

これから、私はどんな写真を撮っていきたいのだろう。

そう問いかけられた学期末の課題。
考えすぎて、頭が痛いです。