そろそろ、このテーマを本気で考えなければならないときが来たようです。
とても親しいお友達に、何度となく言われていたことなのですが。
自分で人物を撮れないと思い、撮らないのだと。
多分そうだと思います。いいえ、そうでしょう。
ポートレイトの課題写真で、私の写真にはその人に対してのあなたの気持ちが良く表れていると、去年のクラスで先生に言われてから、撮っていません。
クラスでは課題に沿った写真を課題が出された日から2週間後に一枚だけを提出し、その写真をクラスメイトと一緒にどう思うかを言いあうのです。
その時、私はあまりにも自分の写真に自信がなく、本当はいけないのだけど、2枚出しました。二人の違う友人を撮ったポートレイトをね。
一人は私が信頼していて大好きな人。そして、もう一人はいつも一緒にいるけど、実はあまり一緒にいても楽しくない人。
先生はズバリ言い当ててしまったのですよ。どちらが私の大好きな信頼できるお友達かをね。
実は怖いのです。自分がその人をどう思っているかをその人に知られるのが。そうそうわからないとは思うのです。でも、感じてしまったら・・・嫌われる?
本当だったら、そんな人間関係は切ってしまえばどんなに気が楽か。
会社の上司でもなければ、同僚でもないんだったら、いっそうのこと切ってしまえばって何度も思った。でも、なぜか出来ない。
なぜ。
人に嫌われたくないんだろうね。
そして、無視されるのが怖いんだよ。
お父さんに学校で何があって、どう思ったか、聞いてほしかった。無視するんじゃなく、殴るんじゃなくってね。
そんなものを私はまだ引きずっているんだろうな。
そんなものをね。
まだ。
34にもなって。
この夏の帰国で、私が撮った人はといえば、甥と姪。
両親でもなく、兄弟でもなく、そして、大好きな大切な友人達でもない。
それも、せかされるようにして
甥に撮らされた何枚かの写真。
でも、一枚だけ、自分から彼らを撮りました。
やっぱりフォーカスは彼らから少しずれているけどね。
この夏、日本から帰ってきて一番感じたこと。
人が好きです。
家族も、兄弟も、日本の友人たちも、ユタの友人たちも、みんな。
電車に乗っていると後ろを向いて、笑いかけてくる子どもも、
自転車どうしですれ違うときに交わす挨拶といっしょの彼らの笑顔も。
だから、
撮るなら丁寧に撮りたい。
好きな人たちならなおさら。
写真は手紙と同じで、どこかに残るでしょう?
捨ててしまわれる場合もあるけど、でも、残る場合のほうが多い。
だから、丁寧に撮りたいと思う。
まるで、手紙を書いているときの様に、
一文字一文字丁寧に、
一言一言丁寧に言葉を選んで。
私にとって、写真はラブレターみたいなものなのかもしれないな。
人が好き。
だったら、ラブレターを書いてみようか。
大好きな彼らの写真を撮ってみようか。