日本に帰国して、空港で迎えてくれた友人と弟と一本の煙草を吸ったときから、私はずっと煙草を吸っている。向こうでは、煙草を吸う友人達と飲んだときと、7月のあの人の命日にしか吸うことはなかった。
煙草がこの日本の煩わしい湿気を追いやってくれるわけでもなく、この湿気でいつも以上に痛たむ腰痛を紛らわせてくれるわけでもないが、私はずっと 煙草を吸っている。別に美味しいわけでもない。別に口元が寂しいと言うわけでもない。口元が寂しければ、いつものお決まりのOrbitを噛むだけだ。
今日も妹に隠れて、彼女から借りてる部屋の窓をあけ、扇風機を窓に向け、ゆっくりと煙草を吸う。いつもと違うことと言えば、昨晩友人の店においてきてしまった黒い熊のライターの変わりに、あの人の形見としてわけて頂いた銀色のライターを使っていることぐらい。
読みかけの本を手に、煙草に火をつける。一息吸い込むが、今日はいつもより美味しくない。タールの苦味というのか、なにか茶色ものが口をとおり気管を通りそして肺へと送られていくだけ。
なぜ私は煙草を吸っているのだろう。
そんな疑問を残し、二本目に火をつける。大きく煙草を加え息を吸うと、少し頭が朦朧とするような、なんとも言えない感覚を感じる。そして、その感覚は、懐かしい14年前に私を導く。
当時の私はガラムというインドネシア産のとても強い煙草を好んで吸っていた。多分、当時の彼の影響もあったと思う。ただ、フィルターを口にくわえ るとあの特有の匂いと共にフィルターに施されている甘い何かが共に私の口の中へ流れ込み、夏の暑さを少しやわらげてくれる気がして、よく吸っていた。あの 頃の煙草は美味しいかったことを私の口は鮮明に覚えている。なぜこの煙草は美味しくないのだろう。銘柄をこの一ヶ月2,3度変えてみたが、同じだった。そ して、私はいつもの様にまた三本目の煙草に火をつけた。
火をつけたところで、この銀色のライターと共に頂いた、あの人の引き出しから出てきた古びたマッチを思い出す。そのマッチで吸ったら美味しかったかなと少し後悔をしながら、次の煙草で試してみることにする。
なぜ煙草が美味しくないのか。そんなことをまだ考えながら、三本目を吸い終わり、形見の品々が入った袋に手を突っ込みあのマッチを探す。そしてマッチを見つけると四本目の煙草に火をつけた。
そしてふと、あの14年前の茗荷谷の古い小さなアパートを思い出す。この部屋は、あの14年前にあの人といたあの部屋と同じ手すり、そして窓の外 には簾がかかっていることに気がつく。そして、外には街頭があり、遠くにみえる空が時々光っていた。四本目の煙草はあの時と同じ美味しい味がした。それを 十分に味わいながら、あの人に抱かれた後に吸った、ある夏の日の夜の煙草の味を思い出していた。