皆さんは、本を読み始める時、読み終わる時、まえがきやあとがきを読むのでしょうか?
以前はというと、本文を読む、そのあとまえがきそしてあとがきを読んでいく。なぜなら、当時はその作品を誰からの先入観をインプットされずに自分 で感じたいと思っていたからです。だから、今改めて読み返している小説のまえがきやあとがきは読んだことがなかったので、表表紙から裏表紙まできちんと順 序どおりに本を読んでいくと、なんだかとても新鮮にその本を感じられることができる。
今回、再度読み終えたある作品のあとがきに、最近自分が感じていた何かが言葉になって書かれていたので、紹介したいと思う。このあとがきの作者は本文を書いた小説家で過去の作品と、私が今回改めて読み直したその作品とを比べて感想を書いている。
「でも今考えてみると、そこに収められている文章の多くは「第一印象」或いはせいぜい「第二印象」によって成立していた。僕はずいぶん長くそこに 滞在していたわけだが、結局のところは、通り過ぎていく旅行者の目でまわりの世界を眺めていたように思う。それがいいとか悪いとか言うのではない。通り過 ぎる人には通り過ぎる人の視点があり、そこに腰を据えている人には腰をすえている人の視点がある。どちらにもメリットがあり、死角がある。かならずしも、 第一印象でものを書くのが浅薄で、長く暮らしてじっくりものを見た人の視点が深く正しいと言うことにはならない。そこに根を下ろしているだけ、かえって見 えないというものだってある。どれだけ自分の視点と真剣に、あるいは柔軟にかかわりあえるか、(続く)」
この本の面白かったところは、海外在住になって6年を過ぎた私が、今まで見えていたものが、見えなくなっていた、その「死角」とやらを思い出せた ことだ。そして、この夏の帰国は、その”死角”が死角であったことを明確に私の中で浮き彫りにしていったように思う。そして、また私は”そこに腰をすえ” 始めている。
たまには視点を変えて物事をみる、きっとそれは今の退屈になり始めた生活に、すこし色を加えてくれるかもしれないな。そして、時々大切なものを思い出すことが出来るはず。うん、そうだと思う。
そして、あとがきはまだまだ続きます。
「外国で暮らすことのメリットーーーといえるかどうかはいささか疑問だけどーーーのひとつは、自分が単なる一人の無能力な外国人、よそ者(ストレ ンジャー)でしかないと実感できたことだ。まず第一に言葉の問題がある。僕にとっては外国語で自分をきちんと十全に表現することは実際問題として不可能だ し、こちらが言いたいことの二割三割しか相手に伝えられないなんてことは日常茶飯事である。それどころか、まったく通じないことだってしばしばある。外国 人だと言うだけではじめから差別を受けることもある。嫌な目にもずいぶんあった。だまされたことだって何度かある。でも、僕は、そういう目にあうのは決し て無意味なことではないだろうと思っている。少なくとも差別されたり、あるいは部外者として理不尽な排斥を受けたりしている僕は、何もかもをはぎ取られた ゼロの、裸の僕だからだ。僕は決してマゾヒストではないけれど、たとえ弱者としてであれ、無能力者としてであれ、そういう風に虚飾や贅肉のないまったくの 自分自身になることができる(あるいはならざるを得ない)状況を持つというのは、ある意味では貴重なことではあるまいかとさえ感じている。」
本当にその通りだと思う。さすが、小説家だ。
今はまだ海外在住7年目だけれども、これが長くなるときっとまた違った自分に出会えるのだと思うのだけれど、少なくとも、私の今の心境はこの文章 そのものであるようにおもう。ここだけでなく、日本に戻ったとしても、自分はやはり単なる一人の無能力な日本人であるだろうと思う。ひょっとしたら、外で の生活が長すぎて、日本に戻れたとしても、その頃には私は単なる一人の無能力な”外国人”、”よそ者”になっているかもしれないな。ここでもこんな生活な のだから、きっと日本に戻ってよそ者であっても、何とかやっていけるだろうと今は思っている。(この夏の帰国時の自分とは大違いだな。(笑))
英語が少しずつ上達していくにつれて、果たしてその言葉もしくは単語が自分の言いたいことを忠実に伝えているのかがとても気になる。だからこそ、 私は自分の気持ちを伝えるときには必ず”頭でっかちな”単語は使わない、使えない。子供が使うような本当に基本の単語を使って、できるだけ丁寧に表現して いく。そして、例えを何個か出していく。そうやって、自分の気持ちや感じたことをアメリカ人の友人に伝えていく。そうして出来た友人は、6週間の帰国に カードを送ってくれたり、いってらっしゃい会などを開いてくれる。そして、一番感謝したいのは、辛抱強く私の言葉に耳を傾けてくれることだ。こうして、私 は少しずつ、ここで”よそ者”の匂いを薄くさせていくのだ。