Fine Arts、辞めなくってよかったです。
やっぱり、ArtってcomunicationのToolなんですね。大好きだった人に、上手く自分の想いを伝えられないのと同じなんですよね。 恋愛も、いつも失恋ばっかりじゃないでしょう?時々は、両想いになって、二人で一緒の時間を過ごしながらcomunicationを図っていく。
実は、今年も他大学のMuseumでわたしの作品を二点飾ってもらえることになりました。わたしが写真によって伝えたいこと、上手く伝わらないこともあるけれど、わかってくれる人もいるんですね。このままの自分でいいといってくれる人がいるんです。なんだか恋愛みたいだと思いませんか?
デジタルカメラの出現で、誰でもそこそこの写真が撮れて、FBとかBlogとか色々な発表の場があって、評価されることが当たり前で、評価されない作品は価値がないように感じてしまう。前学期のクラスも同じ。作品と自分との関係より、作品が人々の目にどう映るかの方が大事。ハリウッドの映画のようなMarketing重視の映画じゃなくってさ、もっとなんていうか、映画らしい映画、わたしはそういうのがいいと思う。
わたしにとっては、作品と自分との関係のほうが、作品と人々の目にどう映るのかよりもずーっと大事。インストラクターとは、こういうアートに対しての意見の食い違いで、一時は経済学部のみで卒業しようって本気で考えた。だから、学期末の課題、本気で辞めようと思っていたからインストラクターの言うことなんか全くの無視で、自分のやりたいように やった。自分が想うように、正直に撮った。
伝わる人には、伝わるんだ。
いきなり落ちた井戸の底。真っ暗闇のなか、何度も何度も叫んだけれど助けは来ない。叫びつかれて、座り込んでいたわたし。いきなりわたしの頭の上に僅かだけれど、あたたかい光がさした。そのあたたかさがうれしかった。
今回、大学の先輩2人も一緒で、展示されることになりました。それも、あの尊敬している先輩と一緒。なんだか、うれしくってうれしくって。 がんばりなさいと言われているようで、ちょっと照れくさかった。日本で少し充電して、もう少しがんばってみようとおもった。
井戸に落ちてしまったけれど、光が見えるんだから、それを目指してがんばって登ってみようとおもう。足が滑っても、一生懸命登ってみようとおもう。僅かな光かもしれないけれど、あの光を頼りに。