
帰国をするためのPackingをしながら、いつも考えることがある。
「日本に行くのか、それとも日本に帰るのか」
わたしには妹と弟が一人ずついますが、どちらも10年以上も前に親元を離れ、それぞれに暮らしています。わたしの家のルールで、3人とも高校を出ると同時に家を出され、一人ずつ住むところを与えられ、一人で生活をさせられましたから、両親の家に帰るというのはなんだかすこし不思議な感じがします。
きっと、両親がまだ現役ですし屋を経営していることもあり、家に帰っても誰もいないことも影響しているのかもしれません。もしかしたら、中学時代から住み始めた家だからなのかもしれません。それでも、わたしが育った家であるはずなのにどうしても自分の家という気がしない。実家とは言っても、言葉だけで周りの友人たちの言う”実家”とはどうやら感覚が違う、そんな気がします。
考えてみれば、わたしの部屋だった場所は、わたしが殆ど自分の荷物を持ち出してしまったことと、両親がいろいろと片付けてしまったことで、思い出のかけらすら残っていない。妹や弟の部屋も同じことで、残していった本の山は段ボール箱に片付けられ納戸の中で眠っている。重くてアメリカに移住するときに持っていくことの出来なかったレコードもまた同じく、プレーヤーの棚に入りきらずに箱に入れられてきれいに片付けられている。まるで借りていたアパートを引き払うかの様に、きれいさっぱりとしてしまっている。
日本に住んでいた頃は、一年に一度は帰っていた両親の家ですが、今は2年、または4年に一度帰れるか。ここまで帰る間隔があいてしまうと、帰るというよりは”訪れる”と言うほうが正しいような気もしてしまう。だからと言って、移住したさきでは、わたしは学生用のApartmentに住んでいるわけで、家とは程遠いわけで。そんなことを考えていたら、わたしには帰るところというものが無いのかもしれないとすこし心が苦しくなったりして。
日本に帰るたびに育った街々を訪れるけれど、日本と言う国は驚くほど発展するのが早いらしく、懐かしい町並みは、帰るたびにPhotoshopで修正されるかのように、消されては新しいものに作りかえられていく。4年も帰れなかった前回の帰国では、あまりの変わりように言葉を失った街もあった。
それに比べ、わたしが移り住んだ町は日本に比べ、とてもスロー。
研修で初めてここに来たのが、今からちょうど12年前。冬季オリンピックが2002年にあったので、そのために改修工事があって少しは景色が変わったけれど、12年前と殆ど変わらない町並み。だからなのか、日本に何週間か帰国して、またこの町に戻ってくるとその度に錯覚を起こす。
今住んでいるこの町が故郷だったかと。
そんなわたしに日本へは帰るのだと教えてくれるのは、わたしの周りにいる人々。
日本で再会する家族、そして多くの友人たち。
帰国の度にわたしを迎えてくれる彼らの笑顔は、「おかえり」といつも温かくわたしを迎えてくれる。
あの笑顔のおかげで、わたしはいつも、
日本には”帰る”のだと知る。
- Posted from etsphone